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嫉妬と自責他責の感情は扱い方が似ている
新年早々自責グセについて書いたが、今日はその続きの話。
自責グセの記事はこちら▼
誰かと共にする時間が長く、空間が密になるほど、自責の傾向がひどくなるのがよくわかった昨年。
私は果たして自分を責めてるだけなのだろうか。他人に嫉妬してるからこういう気持ちになるのだろうか? と問う、もう1人の自分がいた。
かといって相手が羨ましいからこんな気持ちを抱いたのか? と問うても、そういうわけでもなかった。わたしは他人にはなれないし、一生私という器が変わるわけでもないから。
ただ、嫉妬と自責他責グセの手なづけ方は似ているなぁとは感じる。
そんな風にふとよぎったのは文筆家の小川奈緒さんが発信するVoicyを聴いたからだった。
この回の放送では、嫉妬を抱いた時にその感情をどう扱うかについて小川さんと他2名が全く違うアプローチで向き合うという話をしていた。
小川さんは嫉妬の感情を抱く時は、その対象から離れると話すのに対して、別の方はあえて嫉妬の対象に近づくと話していて一同驚愕するという場面も。
嫉妬と自責はまた別物の感情だし、セットで抱くものではないと思い直したけれど、感情の扱い方は同じアプローチが当てはまるように思う。
そういうわけでこの数週間、特にSNSから積極的に離れる生活を過ごしてみた。小川さんが嫉妬の対象から離れたように、私も比較して自責をしてしまう情報ややり取り、コミュニティなどから離れたのだ。
するといく分か気持ちが楽になった。自分に集中ができているからなのだろう。
おかげで自分の言葉がするすると出てくるようにもなった。だからこうして書くことができている。
もちろんアプローチ方法は一つではないし、正解はわからない。
なかには他者や多量な情報に近づくことで、自責グセがなくなるなんてことがあるかもしれない。わからないけど。
一つの方法として、自責を止めるために他者から離れて自分に集中することは、自分の感情の扱い方として知っておくと良いのかもしれない。