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猫という小さな猛獣2~猛獣、大きな猫になる~

※この記事は、2019年5月に書かれたものをリライトした記事です。
現在、主役の巨猫は既に亡くなっておりますが、当時はまだ存命だったためそのまま再掲載している点をご留意ください。


獣医ですら思わず2度見する巨大な猫、"巨猫(仮名)"

餌やりさんから引き受けて1年以上経ち、その頃には先住の猫や犬とはそれなりの距離感で過ごせるようになった。
しかし、相変わらず私にだけは全くもって心を許さない。

私は特別慈悲深くもないし、寛容でもない。むしろ、その真逆を行く人間だ。
それでも、この慣れも懐きもしない猫に対しては、怒ることも飽きることもなく一緒に暮らし続けたのである。

猛獣、緊急搬送される

怒り方、ややましな日。

巨猫との暮らしも1年半ほど経った。
この頃になっても相変わらず慣れも懐きもしないが、当初ほどの激しさはなくなり、「猛獣」から「家庭内野良猫」と呼んでもいいくらいにはなっていた。
そんなある夜のこと。

いつも通り仕事から帰ると、巨猫がケージ内のトイレにうずくまり、ぐったりしている。
不審に思いケージに近寄るが反応を示さない。それに、普段は綺麗に食べてあるフードが残っている。
嫌な予感がして体に手をかけても抵抗しない。背筋がヒヤッとするのを感じながら抱き上げトイレを覗き込む。
……普段なら、この時間には必ずおしっこがしてあるのに、この日は何一つなかった。

この時、パッと頭に浮かんだのは「尿道結石」「尿道閉塞」の二つ。
これまで誰も泌尿器系の病気はしていないが、 猫の疾病知識として頭には入っている。
結石ならまだいいが、閉塞を起こした場合、1分1秒でも早く処置をしないと命にかかわる。

かかりつけの病院は時間外対応も可能なため、連絡をしてすぐに向かう。
病院までは片道3~4キロ。
タクシーを呼ぼうとしたが、なぜか電話に誰も出ない。
仕方がないので彼をキャリーバッグに詰め、自転車で動物病院へ向かった。

季節は2月の始め、時刻は23時すぎ。薄着で出たのに不思議と寒くなかった。
ただひたすらに
「死ぬなよ~!死ぬんじゃないぞ~!!」
と連呼しながらペダルを漕いだ。人生の中で、この夜ほど真剣に自転車をかっ飛ばしたことはなかっただろう。
その間も巨猫は、暴れもせず鳴き声ひとつも漏らさない。

あの、ちょっとでも触ろうとすれば唸り声をあげ牙をむく猫が、黙ってキャリーケースに収められ、一声も発せずに大人しくチャリの前籠にいるなんて……。

病院では先生が準備をして待っていてくれた。
ここまで大人しくしていた巨猫だが、キャリーから引き出された時は大暴れで、それを先生とスタッフ、私の3人掛かりで押さえ込む。

診察の結果は、やはり尿道閉塞。
ここでセオリー通りに閉塞している尿道にカテーテルを通して開通させることができた。
溜まってた尿が勢いよく飛び散った時、全員が猫から手を放さずマトリックスの如く華麗に避けたのは、この夜唯一の爆笑ポイントである。


帰り道、興奮の冷めた体に寒さが染みる。
眠気と疲労でノロノロとチャリを漕ぎながら、行きとは違う沈黙を守るケージを見ながら考えた。

結石というハンデ&この懐かなさ加減で里親を探すのは難しいだろう。
それなら……仕方がない、うちで飼うか。
別にうちで飼うなら、懐かなくても私は気にしない。

以前、親父に「懐かん猫なんぞ可愛くないだろう?野良でも懐くから可愛いんだ」 と言われたし、世の中の人は大体そう考えているのかもしれない。
だが、私はそこに重要性を感じない。

そりゃ、懐けばそれはそれで嬉しい。
でも懐いていない野良猫を眺めることも好きだから……家の中で野良猫を眺めて餌付けしていると思えばいいよなぁ。

少なくとも、家の中ならボス猫や人に追い回されない。飯もたらふく食えるし、一緒に眠ったりグルーミングし合える仲間もいるじゃないか。

左からエリンギ、長老、初代、巨猫。

確かに外へは出してやれないが、元々野良暮らしがしんどそうだから引き受けた猫である。
世間の"猫は外派"が想像する「外を駆けまわる自由なネコチャン」は、はっきり言ってメルヘンだ。
田舎なら多少はそのメルヘンも叶うだろが、この街にそんなものはない。
あるのは「好きな所で野垂れ死ぬ自由」だけだ。
それにどれだけの価値があるというのだろう。

猫に聞く術がない以上、どっちにしても何をしても人のエゴだ。
だったら……やや不自由だが安寧な暮らしを私のエゴで与えよう。

小さな猛獣、大きな猫になる

「家の中に野良猫がいると思えばいいさ」

こんな風に腹を括ったが、巨猫は予想外の反応を示した。
ビビリなのは相変わらずだったが、その日を境に自ら近寄ってくるようになったのだ。
更に、何故か病院で一切暴れなくなり、代りに「虚無モード」を発動するようになった。
どうやら彼は彼なりに「ここ(病院)に来ると体が楽になる」という理屈を理解したようだ。

この一件から数カ月で「小さな猛獣」は、「大きな家猫」になった。

ちょうど、この辺りで保護から2年。
最初の「2年予測」は見事に当たったわけだ。

ただ、今もふと思う。
もし、あの時巨猫が尿道閉塞を起こさなかったら、どうなっていたか?

それについては、猫本人とNNN、ついでに神のみぞ知ることである。

・飼猫と野良猫の狭間

その後、結石用処方食により黒豹のようだった姿は黒豚のようになり、見た目だけで言えば野良の面影はない。だが、ふとした時に野良の顔が出る。

普段は腹を出して無防備にしていても、聞き慣れない物音がすれば飛び上がって隠れる。
特にインターフォンは、この後何年経っても慣れない。
更に工事など数日騒音が続くと、ストレスで血尿を出す。

猫ならよくやる「布団潜り」も最初はほとんど出来なかった。
皆は小さな隙間から滑り込むように入るが、彼は何故か物凄い勢いで布団を掘り、やっと入ったと思っても尻が半分出ている。そして私の足も丸出しになる。
布団を直すために身体を起こすとダッシュで出ていき、しばらくするとまた布団を掘って入ってくるの繰り返しだった。
結局、一般的な布団潜りの技を習得するのに半年~1年ほどかかった。
「ドア開け」についても同様で、そもそも「ドアは開くもの」という概念がないように見えた。
これは外の暮らしで、このような動作をする機会がないからだと思われる。

他の猫と争ったのは、大好きな蝉を皆に取られそうになったときだけ

そして……相変わらず"私以外"の人間に慣れない。

彼が私をどう思っていたのかは分からない。分かるわけがない。
だって、彼は猫だから。

ただ、私が横になれば呼ばずともやってきてドッカリと体を預けて一緒に眠る。春夏秋冬、昼も夜も関係ない。
デスクワークの時も、ふと気がつけば私の足先に頭を乗せて寝そべっている。
そんな時の顔は、いつも心地よさそうで福々しい。
時折、「この暮らしに満足しているのかね?」と聞いてみるが、もちろん彼は一言も「極楽だ」「幸せだ」とは言わない。「ニャー」とも言わない。

ただ、その巨体にふさわしい音量でゴロゴロと喉を鳴らすだけなのだった。

Max8kgの猫が四六時中くっついてくる生活

家庭内野良猫が家庭の猫になって10年

早いもので、巨猫との暮らしも10年を超えた。
年齢は推定13~14歳前後となり、自慢の黒毛にも白毛が混じり始めた。

体調に関して、あれから完全な閉塞を起こすことはなかったが、処方食を与えても定期的に石は出来るし、ストレスがかかれば血尿を垂れ流している。
更に年齢と共に便秘がちになり、巨大結腸症になってしまった。
どちらも同じように生活している猫達はなったことがない病気のため、室内飼いにしたのがストレスだったのかもしれないし、元々生殖器に問題がある疑いがあったので、そこも含め排泄器周りが弱い個体だったのかもしれない。

性格面は相変わらず、気の優しいビビりだ。
共に暮らし始めた時にいた古参達はすでに虹の橋を渡り、当時の彼を覚えているのは私と犬だけになった。
二代目は彼が落ち着いてからやってきたため、一度も本気の威嚇モードを見たことがない。
かつての猛獣も、もはや孫娘に手を焼く好好爺といった感じだ。

巨猫と二代目(右)この後、二代目によりベッドから蹴り出される

今でも、私の選択と彼の選択が正しかったのか考える。

考えても分からないことだが、年々丸くなる性格と体を見ていると「まんざらでもない」といったところだろう。
彼が野生の獣であれば、今の暮らしは"牙を抜かれて飼い殺し"なのだろうが、彼は"猫"である。
猫は、他の動物と違い「タダ飯」が大好きらしい。「ダダ飯食い」であることこそ、猫の本分なのだ。

彼は、孤高の猛獣や野良猫でいるよりも、エアコンの効いた部屋でひっくり返る飼い猫であることを選んだ。
それなら彼が最期を迎えるまで、好きなだけ自堕落に浸らせるのが私の決めた筋道を通すことなのではないだろうか?

今の我が家に、あの美しい黒い獣はもういない。
代わりに、かけがえのない黒いデブ猫がいる。

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