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34歳、緑内障になりました。

「自分の顔のパーツでどこが好き?」と聞かれたら、私は「目」と答える。

日本人の目の大きさを平均値化したら私の目はたぶん大きいほうだし、まつ毛は長いと言われるし、目力も多分人より強い。小学生の頃は男子から「出目金」というあだ名がつけられたけど、私はそれもポジティブにとらえていた。「目が大きいって言ってるのね」と。私はこの目を与えてくれた両親に感謝している。

そんな私の自慢の目が、大きな代償を負った。

34歳と8か月。緑内障と診断されたのだ。


眼圧が高い

事の発端は2018年。ものもらいができて眼科へ行った。最寄り駅の駅前にある、比較的新しい眼科だ。

初診だったので診察の前に視力と眼圧を測った。「眼圧って何?」という人もいるかもしれない。

眼圧(がんあつ、ocular tension)は、眼球内を満たしている眼内液の圧力を指す。大気圧よりも僅かに高く、この大気圧との差を眼圧の値として表す。単位はmmHg(ミリ水銀柱)。眼圧の異常による疾患に、緑内障がある。(Wikipediaより引用)

眼圧の簡易検査は機械で測る。目のところに勢いの良い風が当たる検査で、私はそれがとても苦手。「くる、くる。」といつ風が目にあたるかドキドキしてしまうから。この緊張もよくない。ストレスでも眼圧は上がってしまうらしい。

そして診察の際、「眼圧が少し高い」と言われてしまった。でもそのときは他の検査でも特に異常はなく「また1年後にいらしてくださいね。」と言われた。


視野の感度が悪い

それから2年も経ってしまっていた。

最近ではコンタクトをwebで買うようになっており、1年に1度のコンタクトの処方箋をもらう眼科の診察も行かなくてはと思っていた。

コンタクトの処方箋をもらうための診察は、コンタクト屋さんの横についた小さな眼科だった。そこでは目に傷などはないか、程度でしか診察しなかった。そこで毎回眼圧を測ってもらっていれば…と今なら少し思う。

いまコンタクトの処方箋をもらうときの診察で、眼圧を毎回測っていないという人には、病院を変えるか、追加で検査をしてもらうことを強くおすすめする。


前回の検査から2年も経っているという事実に驚いた。自分の中では1年くらいだろうという感覚があった。毎日主婦として、母として、社会人として生きていく日常が月日の感覚を狂わせている。

そしてそこでもまた「眼圧が高い」と言われ、さらに様々な検査がさせられた。

そこで「視野検査の結果、右目の鼻側下のほうの視野の感度が悪いです」と言われた。

そのときの女医さんの言いにくそうな顔。余命を告げるような重たい空気と、「残念ながら…」とありがちなセリフからはじまる嫌な予感。

「緑内障かもしれません」

そう言われた。まさかだった。だってまだ34歳。自覚症状はないし、普通に目は見えている。そして女医さんの重すぎる空気。え、そんなやばいやつなの?

「失明するのかな」というどうしようもない不安に襲われ、あれよあれよという間に大学病院の紹介状を渡された。


開放型緑内障

それから数日後。朝から大学病院へ。その大学病院は子供2人を出産した病院でもあり、たくさんの思い出が詰まっていた。

妊娠、出産、初めての幸せな入院生活の思い出がそこには詰まっていた。「幸せな思い出だけで終わらせたかったなぁ」「この病院には縁があるなぁ」と複雑な心境のまま病院へ行った。

眼科の平均年齢はやはり高かった。まわりはほとんどの人が60歳オーバーだろう。ポツンポツンと若い人もいる。私もそのうちの一人。

そこではまたたくさんの検査をした。緑内障専門医と呼ばれる先生は想像していたよりも若く、30~40代。先生は

「はじめまして。」

と言った。病院の先生は、診察のたびに普通「はじめまして」とは言わない。この「はじめまして」は、これから長い付き合いになることを予感させた。きっとこれはこの先何年も、何十年も顔を合わせることになる、最初の出会いの瞬間だったのだと思う。先生はそれを察して、私にそう言ったのだろう。

「残念ながら開放型の緑内障です」

先生は早々にそう言った。自分でも覚悟していたので、そこまでダメージはなかった。

色々な検査でコンタクトを外しており、裸眼だったのでよく見えなかったけれど、ある部分の視神経が死んでいるという話だった。

一度死んだ神経はもう二度と生き返らない。これ以上進行しないように、治療をしていくだけだ。


「生涯視野が保たれる可能性は、大いにある」

私のたったひとつの不安は

「失明したらどうしよう」

だった。最愛の子供が2人いる。私はその子たちのために生きている、といっても過言ではない。

私の夢は「ひ孫を見ること」

最愛の子供たちが、おじいちゃんやおばあちゃんになる姿を見たい。さぞかわいいであろう、ひ孫をこの目で見たい。そのためには、目が見えないと困るのだ。片目でも、少しでも、見えていてもらわないと困る。

緑内障は白いもやのようなものが視界に出てきて、それがだんだん進行してくると目の前が真っ白になって見えなくなる。私の目もこのまま放置しておけば、いずれ見えなくなるかもしれない。

先生に「見えなくなることはありますか」と恐る恐る聞いた。すると

「医療に絶対はないので絶対とは言えませんが、きちんと治療をすれば、生涯視野を保てる可能性は大いにあります。」

と言われた。

そのときなぜか「この先生についていこう」と思った。

根拠のない自信を述べる人があまり好きではないので、ありのままの事実を淡々と伝えてくれるこういう先生に好感が持てた。

今の私にできることは、先生の言うとおりに治療することだ。


34歳で緑内障になる人は、100人に2人

2年も間をあけずに、もっと早く病院に行くべきだった。そしたら完全に視野もかけることなく、緑内障一歩手前で押さえられていたかもしれない。

そもそも緑内障の原因はよく分かっていない。私が緑内障になったことを親しい友達にだけ話したところ、みんなが「目がおおきいからじゃないの?」と言った。いや、そんなことはないと思う。目が大きいのは緑内障の原因ではないだろう。

親族にも誰も緑内障はいない。ただ、緑内障になった右目は極度の近視だ。極度の近視は緑内障の原因になり得るらしい。ただ左目も眼圧が高いので、両目ともに治療開始。

「34歳で緑内障になる人は、100人に2人」と言われた。何それ、すごい確率でハマっちゃったじゃん。全然嬉しくない。残りの98人に入りたかった。


緑内障と言われたときはとにかくショックだったけど、なってしまったものは仕方ない。死んだ視神経はもう戻らない。これ以上進行しないように、私は初めての「持病」と共に生きていく。

そして万が一、いつか見えなくなる日が来るかもしれない。その日のために、きれいなものをたくさん目に焼きつけておこうと思う。

「これ以上美しい景色はない」と思えるくらいのものを、たくさん見ておきたい。そして子供たちの今の笑顔も。


緑内障に有効な情報がありましたら、いつでもお待ちしております。

とりあえず気休めかもしれないけど、寝る前にはめぐりズムのホットアイマスクをつけて血流を良くするようにしています。(効果不明)

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