もし自分が介護が必要な状態になったら
あなたは、将来老いを迎えたときにどこで暮らすかについて、考えたことはありますか?
そんな先のこと、まだ考える必要ないですか?
では、親のことならどうですか?
あなたの親は、この先もっと老いて
介護が必要になった時、どうしたいと思っているか話を聞いたことはありますか?
自分の老いよりも、確実に近い未来のことですが、まだ関係ないと思いますか?
老いって、徐々に来るものだと思っていますか?
だから、今決めなくても、その時になったらゆっくり考えればいいや。
そんな風に考えていませんか?
以前書いた記事
「老いを知る②人体の老化のしくみ」に書きましたが、人の体は、細胞の入れ替わりが日々起こっているけれど、年齢と共に死んだ細胞の数より、再生する細胞の数が少なくなることにより、体は老いていきます。
その予定された細胞死だけであれば、老化は100年くらいかけた緩徐なものですが、病気や怪我などによる予定外の大幅な数の細胞死が起こると、老化は急激に進むのです。
病気や怪我は予期せぬ出来事であることがほとんどですから、老いは徐々に来るものともかぎらないのです。
病気や、怪我で療養された方にお会いした時に、急に老けられたな?と感じたこと、ありませんか?
もちろん、その後の体力次第で、元に近い状態に戻れる事もありますが、
その、病や、怪我をきっかけに、老いが進んで、思っていたよりも早い段階で、死が近付くこともあります。
なので、老いって、徐々にとは限らないのです。
急死という場合もありますが、
それは、もう、介護を必要とせず逝ってしまうので、残された家族などにとっては悲しい事なのですが、ある程度の年齢になると、多くの人が心配する『介護を受ける』という未来は無く人生を終えるので、お年寄りの多くの方ご願う、「ピンピンコロリン」と逝くという、理想の最後でもあるのかなぁと思います。
死んだ人と話したことがないので、どの死に方が良かったか?なんてことは、生きているものの想像の上でしかないのですけどね。
というわけで、老化、及び介護を受ける未来というのは、徐々にやって来るとは限らないと、考えた上で、あらためて、老いを迎えたとき、どこでどのように過ごしたいと思いますか?人生会議(アドバンス・ケア・プランニング:略称ACP)って聞いたことありますか?人生会議(ACP)とは もしものときにどのような医療やケアを望むのか前もって考え、家族や信頼する人、医療・介護従事者たちと繰り返し話し合い、共有することです。
厚生労働省が、11月30日(いい看取り・看取られ)を「人生会議の日」とし、人生の最終段階における医療・ケアについて考える日としているそうです。
なぜ、事前に考えるのか ?
人は誰でも、命に関わる大きな病気やケガに見舞われる可能性があります。 重篤な状態になると、約70%の方が、これからの医療やケアなどを自分で決めたり、望みを人に伝えることができなくなるといわれています。 人生会議をすることで、もしもとのきに、あなたの望むような医療やケアを受けられる可能性が高くなります。
ということで、医療、看護業界では、ACPについての研修など、最近では多く行われ、普及活動が進められていますが、一般への普及率はどうなんでしょうね?
そして、よく聞くエンディングノート。
本屋さんなどでも、普通に見かけますよね。
エンディングノートとは
自分が亡くなったときや意思疎通ができなくなったときに備えて、家族に向けて必要な情報を書き残しておくためのものです。
銀行口座・保険・自分の葬式に関することなどを事前に記しておくことで、死後に対応する家族が動きやすくなるといったメリットがあります。 また、大切な人にメッセージを伝えることもできるので、いざというときに後悔するのを防ぐためにも準備しておくとよいのだそうです。
そのほかにも、自分の人生を振り返り、あとの世代に伝えていきたい場合などにも活用するものなのだそうです。
ACPについても、エンディングノートについても、知ってはいるけど、具体的に話し合ったり、書いたりはしたことはないという人が多いのではないでしょうか?
こんなことを書いている私も
頭では思い描いていても、家族と話し合ったり、書き残したりしたことはないです。
先日、訪問看護で看取りに関わらせていただいた。
膵臓がん末期で病院から、退院してこられ、
余命ははっきりは伝えられてはいなかったけれど、家で過ごすのが辛くなったら緩和ケア病棟に入院するご希望でした。
でも、実際家で過ごしてみると、やっぱり家がいいと思うようになられ、最後は家でというご希望に変わりました。
家で過ごす間、その方は、自分の趣味で作ってきた作品の整理や、お友達を自宅へ招いてのおしゃべり、自分の葬儀の手配まで、体は辛いながらも痛みは少なかったこともあり、毎日忙しそうに過ごされていました。
ご飯もまずまず食べられていたし、血圧なども安定していたので、私たち看護師や介護士も、そんな急に亡くなると思ってなかったのですが、ちょっと浮腫が強くなってきて、トイレに降りるのもつらくなったなぁと思いはじめて2~3日で、突然その方は亡くなられました。
トイレに座って「ああ、スッキリしたわ、ありがとう」と言って微笑んでお礼を言われて、
ちょっとしんどくなってきたから寝るわと言ったらその直後には呼吸が止まったのだと、その場に居合わせた看護師から聞きました。
本人も、家族も、私たちも予測できない
死のタイミングでした。
でも、ご本人の望むようにご自宅で
自分で色々準備をされていたから、
後悔ない最後だったのだろう!
と思ったのですが、、、。
葬儀屋さんの手配はされていたけれども
いざ、最後に着せてあげる服はどうしますか?と家族に聞くと、「家にある、いつもきていたような服でと母が言ってました」とはいうものの、その服がどの服で、服がどこにしまってあるのかが解らずあたふたする場面があったり、
ご本人が最後まで気にされていた介護が必要なご主人を、これからどうするのかということも、決まっていませんでした。
何でも自分で決めて動く人ではあったけれども、ご自身の中で思っていることを、具体的に家族に話すということをしておられなかったのか、家族側が、真剣に聞いていなかったのか、
とにかく、思いは共有されていなかったなぁと、見ていて感じました。
ACPにしても、エンディングノートにしても
自分だけが思ったり、書いたりしていても
あんまり意味がないのですよね。
考えることは大事なのですが、
それを共有することで、やっと
実現できるので、
思いがあるなら伝えなければ!
と思います。
先日、あるコミュニティーで、
『もし、自分が介護が必要な状態になったら』
について、考える会を開催して、6人くらいの参加者さんと、自分の思いを共有したり、意見
や、経験をお話しする機会がありました。
とても有意義で、色々と、これから自分たちの将来に向けてやっておいた方が良いことが見えました。
その中で出た意見の一つに、
お正月に毎年、新年の抱負を家族の前で話したりするじゃないですか?
あれと同じように、今年私に何かあった時はこうしたい!という人生会議(ACP)のようなことをして、エンディングノートを書くということを、家族と共にすることを新年の恒例行事にしてはどうか?
という話しなんです。
これ、すごくいいと思いませんか?
正月のめでたい日に、死ぬ話しなんて!
って思う方もいるかもですが、
深刻に、暗くならずに話しができる、しかも、家族が集まるいい機会だと思うんですよ。
こんな風に、多くの人が
自分の人生の最後を真剣に、前向きに、自分事としてとらえて、そして、大事な人の最後ことも一緒に考えて行けるようになるといいなぁと思います。
この年末に、先日行ったような
「自分が介護を受ける状態になったら?」
を考える会の開催をしようと思います。
下記のInstagramで告知していますので
良かったら参加してくださいね!
今日も読んでいただいてありがとうございます!