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可愛い老人になりたい

昨日、ビジョンアーキテクトセミナーという、自分のこれからの人生でやりたいことを明確にしていくためのセミナーを受けていて、その中で、何歳の頃、どんな風に生きているかということを考える時間がありました。

今、人生100年時代と言われていて、2023年7月、厚労相発表の男の平均寿命は 81.05 年、女の平均寿命は87.09年となっています。

厚生労働省発表の2023年7月28日、2022年分の平均寿命と平均余命が記載された令和4年簡易生命表

昨日のセミナーの先生のお話しによると、20才以上の平均寿命にすると、90才は越えているとのこと。
介護の現場にいる体感としても、90才以上のご利用者様が普通で、100才越えも珍しくはありません。80代の方が来たら、
「まだ若いね」と言っているくらい。70代の方が来たら、「あら、若いのに何があったの?」と、介護を受けなければいけないことに、特別な原因があるのだろうと考えます。
(認知症や、事故、ご病気など)

でも、私が小さい頃に、いわゆるおばあちゃんって感じていた年齢は、80才くらいだったなあと思います。昨日のセミナーの参加者の皆さんも、自分は80代で死ぬと思っていたと言っておられた方が多くおられ、いつの間にか伸びている平均寿命に、昔のイメージが塗り替えられていないのだなぁと思いました。

劇的に伸びる平均寿命


私は来年50才になります。
人生100年と考えるとあと50年。
やっと折り返し地点。
今まで生きてきた分だけ、残りの人生が有るわけですが、どう過ごすか、どう生きたいか
そして、どんな老人になって、どう死にたいか
考えるのって私は結構楽しいです。

何も考えなくても、老いは勝手に進んでいくし、年月は流れていきます。
今、目の前にあること、その一つ一つに一生懸命向き合って生きて、命尽きるも
また善きかなとも思いますが。

でも、せっかく人間に生まれたんだから
ちょっと意図したいと思いませんか?

計画っていうと、なんだか堅苦しくて
計画通りに動けなかったらなんだか罪悪感みたいなものを感じるので、ちょっと苦手なんですけど、
意図するとか
思い描くとかって
言い方変えるだけてなんだか
ちょっと夢があるような
言葉のマジックにかけられてしまうのは
私だけでしょうか笑

私の意図の一つに
『可愛い老人になりたい』
という野望があります。

仕事で日々高齢者と関わっていると
すんなりと老いの流れに乗って生きている方と
なかなか流れがスムーズに行かない方がおられます。

その違いはなんなのかな?
と考えると
『可愛さ』
なのでは?と思うところがあるのです。

お年寄りに可愛いなんて失礼!
って思う方もおられるかもしれないですが、
私が思う『可愛さ』は
子供扱いしてそう思うのではなく、
人間としてのCute(キュート)さです。

大人として可愛い人っていると思いませんか?
でも、その人が子供っぽいとか、劣っているとか、そんなんじゃないですよね。
しっかり自立していて、賢くて有能でも
可愛い、Cuteな人はいます。
可愛いってなんなんでしょう?

Wikipediaによると
可愛い(かわいい)は、日本語の形容詞で、いじらしさ、愛らしさ、趣き深さなど、何らかの意味で「愛すべし、愛嬌がある」と感じられる場合に用いられる。
とあります。

そう、愛すべし愛嬌がある、それなんですよ!
愛嬌がある老人、愛されるべき老人になりたいんです。
そして、愛嬌がある老人の方は、愛されているなぁと思うのですが、逆にそうでない方は、
色々と困難な事が多くみられます。

さらに深掘りすると
愛嬌ってなんなんでしょう?

私が看護とか、介護をしていて
可愛いなあ、愛嬌があるなあと感じる人って
受け入れてくれる人』かなと思うのです。

ニコニコ笑顔でも、
いつもお礼や、感謝の言葉を下さる方でもなく
私たちの看護や介護を
私という人間を
『受け入れてくれる人』
これなんです。

無表情でも、無言でも
私達の提供するケアを受け取ってくださる
すなわち、信頼して、委ねてくださると
可愛いなあ、愛すべき存在だなぁと思います。

もちろん、そこには、信頼されるようなケアが提供できていることが大前提なので、ケアする側は、常に自己研鑽をして、誠実な仕事をしなければいけません。
でも、受け入れてもらえなければ、それらを発揮できないのですよね。

受け入れる、委ねるって
なかなか出来そうで出来ないんです。

まず、『人の世話になる』
これを受け入れられるのって
「人に迷惑をかけてはいけません!」
って、言われて育ってきた昭和の人間にとって
なかなかのハードルなんです。

そもそも
介護を受けること=迷惑をかける
という式が間違っているのですが
人のてを借りる=人の手を煩わす
という、考え方から発展すると、答えは『迷惑をかける』になってしまいがちなんですよね。

お金で解決すればいいだろう!
と考えて、家族ではなく外部のサービスを使うという考えの人も、根っこには、
迷惑をかけている、だからお金払ってるんだ!っていう、自己弁護の思いが入っていて
受け入れるということを放棄して、使ってやってるという優位に立つことで自分を守られているように感じます。

そういう人は、介護保険や、医療保険を使っフォーマルなサービスを使っていても、
「金を出してるんだから言うこと聞け!」というような、横柄な態度やクレームを入れてこられることがありますが、少なくとも7割以上は公的なお金、すなわち、国民の皆さんから集められている保険料で助けられている事をお忘れなきように!と思います。

そして、これからの超少子高齢化時代は
お金を出しても介護が簡単には受けられない時代が来ると思います。

だって、介護の担い手になる若者が
超少なくなるのですから。

だから、健康寿命を伸ばすこと
自分で出来ることは、自分でして、
その状態をできるだけ長く保つことが
社会的にも大事。

だから、フレイル予防とか
盛んに言われているんですよ。

フレイルについてはこちら↓

東京都医師会ホームページより
画像タップで詳細をどうぞ!

フレイルなんて、耳慣れない言葉でなく、
もっと分かりやすい日本語での表現はないのかなぁと思うのですが、これも段々と一般的な言葉になっていくのでしょうか‥。


話しは逸れましたが、
超超少子高齢化社会を目前に
これから年をとる私たちは
どう、老いを過ごすのが良いのか
ちょっと真剣に考えたほうがいいとおもうのですよね。

フレイルを予防して、どれだけ努力しても
ピンピンコロリンと逝けないこともあるのです。
介護を受ける、その立場に
自分がなる未来が来るかもしれないのです。
むしろ、その可能性が高いかもしれません。

それならですよ、
足掻いてもしかたがないと思いませんか?

気持ち良く、素直に、感謝をしながら
人の手を借りて生きるという体験を
人生のラストステージの課題として
クリアして、天に召されたいと
私は思うのですよ。

そこで重要になるのが
『可愛さ』
だと思うのです。

差し出された助けの手を
素直に受け入れる。
私に向けられた愛を、感謝をもって
受けとる。
私は受けとってもいい。
私は愛される存在であることを認める。
出来ないわたしでも、大丈夫。
どんな私でも、存在していいんだよ。

このような許可を自分に許す
それが出来ている人は
可愛い人なんだと思うんです。

これは、一足飛びにできるものではないと思います。
今許可できていない人が、介護を受けるようになってできるとは思えないのです。

可愛い老人になるためには
準備が必要です。

その為にできることは
今から自分を許すこと。
今から、人の助けを素直に受け入れられる自分になるために、自分を認めるという
習慣をつけること。

その為には、日々
自分に向き合って、
自分の事をよく知ることだなぁと
思っています。

老化がもたらす現実を知ることで
永遠に完璧に、自立することは
難しいということが解ると思います。

人の助けを受ける

その事を前提に
未来の自分への備えとして
自分との向き合い
はじめませんか?

その方法は
ご自身にあったやり方を
探してくださいね!

ちなみに私は
ノートに書く
自分と常に対話する
など、色々な方のいいなぁと思ったやり方を
真似してしていますよ。

そして、老いを知るということに関しては

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今日も読んでいただいてありがとうございました。









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