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木下龍也さんの短歌に心を持っていかれてしまった

みなさん、こんにちは。
Atelier Crown*Clown(アトリエ クラウン*クラウン)のかおりんです。

少し前の話になるのですが、私がフォローさせていただいているゼロの紙さんの記事の中で木下龍也さんの短歌が紹介されていて。

記事の中で紹介されていた短歌は4首だけだったのですが、それを読んだけで私の心は激しく持っていかれてしまい。
それはまるで、「鋼の錬金術師」の中でエドが「持って行かれた…‼」ってなった時みたいに。

で、気付けば楽天ブックスで「あなたのための短歌集」と「天才による凡人のための短歌教室」をポチポチしてしまっていて。
本が届くまでの数日間を、まるで恋人に会える日を指折り数える乙女のような心持ちで過ごしていたので、届いた時にはもう嬉しくて嬉しくて。

私の中で短歌といえば「小倉百人一首」、「万葉集」、「みだれ髪」「サラダ記念日」、あとは「泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず」という狂歌…程度しか頭に浮かばず、そのイメージも「知的なたしなみ」という感じで、「私とはちょっと違う世界のものよねー」と思っていて(国文科卒なのに!)。
でも、木下さんの短歌はもっと身近…いや、「身近」を超越して「それ、まさに今私が欲しかった言葉!」という距離感で。
「あなたのための短歌集」を読み終えた私は、思わず本を抱きしめて心の中で「ありがとう」とつぶやいてしまったほどなのに。
なのに、「天才による凡人のための短歌教室」の「はじめに」で、木下さんはこんなことを書いていた。

僕は天才ではない。
正確に言うと、僕にとって僕は短歌の天才になりえない。
なぜなら僕には僕の短歌の意図、構造、工夫がすべてわかってしまうからだ。
一首の完成度についていえば現役の歌人の中ではトップクラスだと思う。
それでも僕にとっては僕の短歌がこの世でもっともつまらない。
僕が披露できるのは手品であり、魔法ではない。
タネも仕掛けもある僕の短歌は僕の胸をどうしても撃ち抜くことができない。
(中略)
僕にとっての最高の一首を作るのは僕ではない。
この本を開いたあなただ。
これから紹介するいくつかのコツの先にある魔法をどうか見せてほしい。
僕には消すことのできない鳩を、どうか本当に消してほしい。
あなたという短歌の天才が目の前に立ちはだかる日、僕に参りましたと言わせてくれる日を、僕は待っている。

木下龍也
天才による凡人のための短歌教室

なんということ。
こんなに新鮮な感動をくれた木下さんは、自身の作品をつまらないと言う。
凡人もしくは才能ナシの私には理解できない次元の悩みだと思う。
でも、理解できないながらも私は思ってしまったのだ。
「こんなに私を感動させてくれた木下さんに、そして短歌を作るノウハウを惜しげもなく公開してくれた木下さんに恩返しをしたい。凡人もしくは才能ナシの私でも、何千何万と詠み続ければ1首くらいは木下さんの胸を撃ち抜くような短歌を詠めるのではないだろうか?よし、私は歌人になろう。今日から!」と。
「天才による凡人のための短歌教室」を読んで、私と同じように思った人がきっとたくさんいるハズだ。
そんな、初心者のスナイパーがウヨウヨと木下さんの心臓を狙っている絵を想像すると何だか笑ってしまう。
たまに間違って手とか、足とか撃たれちゃったりして。

「今日から歌人になる」という決意を誰かに聞いてほしくて、仕事から帰ってきただんさん(旦那のコト)に早速「私、今日から歌人になることにしたの!」と伝えたら「かじん?」とひらがなで聞き返されてしまった。
ま、そりゃそうだよね。

「天才による凡人のための短歌教室」によると、「1首作れば誰でも歌人」とのことなので、さっそく作歌してみた。
拙いけれど、自分なりの決意を込めて!

信長を撃った雑賀さいかの人みたく巨人の胸をズキュンとしたい

やるせない過去も未来も現在も三十一文字みそひともじの弾丸で撃て

改訂履歴
2022/04/10:新規







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