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アカデミックに寄りすぎず。

こんにちは。少し間が空いてしまいました。
梅雨なのかなんなのか良く分からない暑い日が続いていたと思ったら
ドヨーンとした重たい雲がかかっていて梅雨空だったりして、まだまだ湿気が大変です。

今日は、久しぶりにアートの事に触れみたいなと思ってnoteを書いています。私は芸大を受験した時に、初めて予備校があるのだと受けている時に知りました。それまでは自己流で好き勝手描いてきたのですが、受験用のデッサンや油絵なんてものがあるなんて知らなかったので、当日会場で知ったというなんとも間抜けな人なのですが、でもそのお陰で色々な知識を後から得ることが出来たので、経験して本当に良かったなぁと思います。
デッサンも子供の頃から得意な方で、人物画がなどコンテ画でよく描いていました。スケッチブックを持ち歩いては家にくるお客さんを絵に描いて喜ばせていたような子供です。

高校を中退してから、少しばかり会社員として働きそして予備校に通って大検と大学受験を目指して勉強していました。大検も一発合格だったので、今度は受験勉強としてシフトしていきました。記憶が曖昧になっていますが、
本命の大学は農芸化学科を学べる理系の大学でした。画家を目指すかバイトテクノロジーを志すかちょっと今考えてみると選択がおかしいのですが、食品科学だったり生物学だったりと興味が散漫していました。
私みたいな者が数3を網羅できる訳もなく、センター試験の時に自分の実力の無さなど痛感し、早く勉強がしたかったので母の勧めであった専門学校に進学しました。河合塾系という事もあり、単位を取るのに厳しいデザイン学校でした。2年間休まず、成績もオールAになり特待生として学費が一部免除された事には自分でもとても嬉しかったですが、まだまだ私の上には上がたくさんいました。やはり留学生はとても優秀で、何らかしらの賞をとっていました。学生時代はとても刺激がありました。やっぱり美大や芸大には行きたかったという目標がありました。2年間のうちでめちゃめちゃ頑張ったデッサンの授業。芸大の先生にAをもらって、武蔵美を受けてみたらいいじゃんと声をかけてもらったりしましたが、アメリカの大学へ行くことになったので、それから映画監督の道へ進む事になります。

大学にいたら居たできっとライバルが出来て、とても刺激があったと思います。でも、私にはフリースタイルが合っているんだなぁと今改めて思います。2年間の授業や、その後のアメリカでの学びの中で物凄い成長したと思います。そして子育てしながら通信大学に通い京都芸術大学の卒業を手に入れました。これで、芸術大学卒と胸を張って言える。コンプレックスだった学歴が一つ解消されたなど、自分の自己満足ですが頑張った甲斐があります。フリースタイルで学ぶ事によって、先生の意見に流されず自分でしっかり学べたと思います。アートというのはそれぞれ考えや思いなので、私は誰にも流されない自分だけの作品スタイルというものを持っている気がします。抽象画は似たりもしますが、それには私独自の概念があって誰かに影響を受けたわけでもなく自分のスタイルです。

大学のカラーというようなアカデミックに寄りすぎない、自由な表現が出来ているような気もします。もっときちんと大学でどっぷりと自分の表現を追求している生き方もとても羨ましいですが、今の私は生徒さんに教えながら自分も学べています。前もって調べたり、いろんなことをリサーチしたりと大変な事もありますが、儲けなど度外視で出来ていることが楽しいですし、やりがいがあります。今のスタイルになるまで20数年かかってきました。
天狗になってみたり、横着だったりしましたが、今コツコツを頑張ってきたことがやっと実ってきたのかな。と感じています。
開花するには時間がかかるし、私の種はだいぶ硬そうですが画家という仕事には定年がないので、これからも続けていけたらと思います。

もっと自由に、もっと楽しく、幅広く。
そんな風に探求を続けていけたらと思います。

よろしかったらサポートを是非お願いいたします。アートによって人々の感性が開花し、アートって楽しいなぁと思ってもらえる様な活動に専念していきたいです。