何をするか、より、どう在るか。
(*写真は常に自分らしく生きる次男の変顔。私の心の叫びを顔で表してくれているよう。笑)
何かと言い訳がましく、覚悟が足りない私。
子供が小さいから時間がない、集中できない、邪魔される・・・すべて事実。だけど、すべて言い訳。
結果がついてこないから、そんな言い訳を自分にする私。かっこ悪い。でも、それが現実。
「経営者って、何かしっかりしたものを持っていて、迷ったりしないって思われるんですよね。実際、すごく悩むのに。」
先輩経営者(かつ、先輩ママ)がさらっとそう言った。
目から鱗だった!
そうか、このかっこいい、この人でも、そう思うんだ!励まされる思いだった。
何かを始めようと思って、えいっと始めて、自分の方向性を持って突き進んで、それを形にして、それに憧れて人が集まる。そんな彼女だって、そんな風に思い続けてやっているんだ。
あぁ、私がそう思っていてもいいんだな、いつも迷って悩んでいても、大丈夫なんだな、なんて、心の中で思った。
そりゃあそうだ。あの、天下のトヨタの豊田社長も、先日の中日新聞の独占インタビューで、悩んでるみたいなことを話していて、ものすごく遠い存在と思っていた人が、大きくても小さくても、経営者は経営者で、経営者としての悩みと迷いを常に持ち続けているんだって、これまた目から鱗!だったことを思い出した。
大きいなりの、小さいなりの規模の悩みやプレッシャー、肩の荷物の重たさは全然違うと思うけど、自分で背負っているということには違いない。
しかも、先が見えない時代の中で、右に行くのか左に行くのか、上に行くのか下に行くのか、斜め右か斜左か、あるいはそこに止まるのかどうか・・・誰も道を教えてくれないので、自分で考えて、自分でかき分けて行くしかない、という状態。
やってもやらなくても後悔するかもしれないけど、それも理解の上。だったら、やったほうがいいのではないかと思う。
いいや、これって経営者の話じゃないなって思う。一人の個人が、そういう状況に直面している。
何を選ぶのか、どこに進むのか、どこへ向かうべきなのか。「これがいい」「こうするべき」というのは何もない。
私が自分の子供達に教えてあげられることは、実は、ない。ただ、自分が満足して、自分が幸せにある状態というのが何であり、それを実現するにはどうしたらいいのかを知るすべを身につけてほしい、というのを切に思う。
何をすれば幸せ、というのはもうなくって、どうあれば幸せなのか、ということなんだと思う。あなたがあなたらしくあるために、私が手伝えることがあれば、手伝う、そんなスタンス。それが時間として延びていって、いつか一人でそういう状態でいられるようになったら、立派に自立していくのだろう。
3人の私の子供たち(みんな男の子)はそれぞれに違う。だから、求めるあり方は三人三様で、これが教科書というのはない。
同じ親から生まれた兄弟がそうなんだから、みんなそれぞれ違うのは当たり前。みんな違って、みんないい!
だから、それを認めた上で、自分を知って、自分の心地よさにどう持っていくことができるか、(それはもしかしたら技術的なことかもしれないし、心持ちだけの問題かもしれない)なのだと思う。
それができなくて、悶々としているような、そんな状態の人を見ているのが、私は一番しんどい。何かしてあげられそうで、何もしてあげられないから。自分でなんとかしなくちゃいけないのだから。
誰になんと言われようと、自分の道を進んでいる人を見ると勇気付けられるし、ああ、こういうわがままさを持っていられるのっていいなって思う。
幼少の頃から、先生などの大人の目を気にして、いい子を演じて褒められるために生きていく、みたいな、従順な兵隊を育てるための教育を受けてきた私たちは、もはや時代遅れの隊員だ。
そうではなくて、どうありたいか、どう生きたいかを模索しながら、幸せに命を全うしていく。確実に、時代は移り変わっている。
私はまだまだちっぽけだけど、一応、3人の子供の親になった。親になって、心底思う。
子供たちには、子供たちなりの幸せを見つけて、幸せに生きてほしい。誰になんと言われようと、本人が納得した生き方をしてほしいと。それが一番の願い。
だから、私は背中でそれを子供達に見せたい。今はいろんな言い訳をしているけれど、それをいいながらも、私は自分に嘘つくことなく、納得した道を進んでいるということを、言葉ではなく、行動で見せていくしかないんだなって思う。それが今、私ができる唯一のこと。
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