自己肯定感とは「スターダストボーイズ」である
2021年4月16日のツイートまとめ
自己肯定感とは「スターダストボーイズ」の歌詞のことだと思っている当番である。
「スターダストボーイズ」とは
1986年放送のSFアニメーション『宇宙船サジタリウス』のオープニングテーマ曲。歌唱は影山ヒロノブ。
作品本編は各種アニメ配信サイトで視聴できます。主題歌「スターダストボーイズ」も各動画サイト及び配信サイトを検索すればすぐ聴けます。歌詞へのリンクだけ置いとくね。
「スターダストボーイズ」のいいとこは「だからと言って ダメじゃない ダメじゃない」と、「星屑のおれたち『結構』いいとこあるんだぜ」の「結構」のとこ。一発逆転してお釣りがくるほどの「いいとこ」があるのではなく「結構いいとこあるんだぜ」のとこが程よくていい。reasonably ってことよね。
「ニーバーの祈り」で木を生やしたときにも取り上げた「reasonably happy そこそこ、それなりに幸せ」のreasonably ね。「星屑の俺たち 結構いいとこあるんだぜ」の「結構いいとこ」も reasonably good とか reasonably nice とか、「そこそこ、それなりのいいとこ」だと思う。
※「『ニーバーの祈り』で木を生やしたとき」というのはこの記事の話↓
「ニーバーの祈り」で木を生やしたとき、reasonably happy を「そこそこ」と訳したけれど「それなりに」でもよかったな、と今にして思う。「美しい人はより美しく、そうでない人はそれなりに写ります」の「それなりに」。
ヒーローじゃなくても、かっこよくなくてもダメじゃないし、それなりにいいとこあるんだぜ、スターダストボーイズならびにガールズ。「だからと言ってダメじゃない ダメじゃない スターダストボーイズ ダメじゃない」これが自己肯定感というものですよ。「スーパーマンな自分だから偉い、キラキラのビッグスターだから自分を肯定できる」ではなくて「スーパーマンじゃないけれどダメなわけじゃない。星屑の俺たち結構いいとこあるんだぜ」というのが自己肯定感。
「歌になっている」ということのいいところは「星屑の俺たち結構いいとこあるんだぜ」と本気で思うことができなくたって、「歌になっているものをそのまま歌うことができる」ってところだ。歌っているうちに、ある日ふと気付けば「本当にそうだな」と信じることができるようになっていたりするから「歌になってそこにある」というのはいいことなんだよ。今すぐはとても信じることができないような希望や祈りを語るような内容こそ、歌になっているというのはとてもいいことなんだ。
歌詞、阿久悠だったのか。天才の所業。
なお、当番は『宇宙船サジタリウス』リアタイ視聴ではなく西洋占星術沼に落ちて以降に視聴しました。いやタイトルに「サジタリウス(射手座)」って入ってるからどんなアニメかと思ってさ。それこそどんなに壮大なスペースオペラかと思って検索したら主題歌が「スターダストボーイズ」でゲラゲラ笑いましたね……
木星感ある陽気な名曲だと思います、「スターダストボーイズ」。別になんの根拠もないけど、ないない尽くしでもダメじゃない、ヒーローじゃない俺たちにも「結構」いいとこあるんだぜっていうユルい肯定は木星感。
【2024年追記】
「自己肯定感」はあくまで「自分で自分を『結構いいとこあるんだぜ』と捉える感覚」のこと。「自分が自分を肯定するかどうか」と「他人がそんな自分を肯定するかどうか」は違う。1ハウスと7ハウスくらい違う。「星屑の俺たち」は「どっから見てもスーパーマンじゃない」し、「綺羅星の俺たち」とは言えないけれど、結構いいとこはある、有象無象の星屑ではあっても。