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海外日本語教師はアイドル!?

初めて日本語教師として教壇に立ったのが、21歳の時だった。日本語教員インターンシップというプログラムを通して、海外の大学で日本語教師としての経験ができたのだ。

私は第二言語で中国語を専攻していたので、もちろん中国を選んだ。そこで半年間北京にある大学で日本語教えていた。

その後、日本で会社員をしていたが、日本語教師になりたくて、新卒で働いていた会社を1年で辞め中国に戻った。そこから6年間北京の大学で日本語教師をしていた。

この北京での日本語教師生活を思い返すと、自分の人生の中で一番モテた時期だった。笑

初めての日本人

中国人の大学生の多くは大学に入ってから日本語を学んでいた。もちろん自分が初めての日本人の先生となる。そして彼らにとって初めて会う日本人となる。

日本人とはこういう人たちか~と先生を通して学ぶのだ。変なことはできない。(>_<)日本人というだけ。それだけで注目される。

多くの学生に囲まれた生活

どの大学の先生も学生に囲まれて楽しそうに過ごしていた。授業以外の時間もだ。それは若い教師だけでなく、どの年代の方も同じだった。

特に最初は、携帯を買うだとか、番号を購入するだとか、ウォーターサーバーの水の手配の仕方だとか、生活のこともよくわからない。こういうときは、学生たちがよく助けてくれた。

通訳をしてくれたり、代わりに電話をしてくれたり、一緒に買い物に付いてきてくれたり…本当に生活の様々なことを学生たちが助けてくれた。そしていつも「先生を助けることができて、うれしい。」「ここは私の国ですので。」と言って嫌な顔一つせず、喜んで助けに来てくれた。本当に優しくて、心がきれいな学生たちだった。素敵な学生たちについては別にまとめたいと思う。

週末になると、観光に行かないかと誘ってくれた。いつも自分の周りにはたくさんの学生がいて、誰かが気にかけてくれた。授業もそれ以外の時も学生と過ごした。有難いことにいつもたくさんの学生に囲まれて、楽しく生活できた。

有名になる

各大学に一人か数名いる日本人教師。私の場合、最初の大学では私を入れて三名だった。女性は私一人だった。

二名の先生は長くその大学にいらっしゃったので、新入りの私は一人ポンっと入ってきたこともあり、すぐ覚えてもらえた。

遊びに誘われたり、学生たちのイベントに招待されることもあった。学生たちから携帯番号を教えてほしいと言われることも多かった。中国の学生のすごいところは教師にも番号やwechatを聞いてくるところだ。これは英語学科、フランス語学科でも同じことだった。

少し余談だが学生から番号を聞かれたらどう対応するか他の外国籍教師に聞いてみたこともあった。教える教えない、いろんな先生がいた。

私は自分の学生には教えていた。生活でもお世話になっていたし、コンテストに参加する学生と練習時間の打ち合わせなどもあったからだ。

「あなたがあのきれいな日本人の先生ですか。」と聞かれたこともあった。どういう噂が流れていたのだろう。

「あ~それ、私のことですね!」なんて恥ずかしくて言えない。でも女性は私だけだった。「たぶん、私のことかな?」と言っておいた。

当時メイクをしている学生はあまりいなかった。きっとメイクをしているだけで、きれいに見えたのだろう。

予定がすぐ埋まる

お昼ご飯を学生と食べることも日課だった。特に最初の大学では、毎日のように誰かと食堂へ行った。

昼頃授業が終わったら、その流れで学生がよくお昼に誘ってくれた。夜ごはんは待ち合わせてレストランや食堂に行くことが多かった。食事の予定はよく埋まっていた。

2つ目の大学では、食事をすることが減った。少し学生と距離が出来た。教師としての威厳を感じさせることができていたのかもしれない。(それはないか。笑)とにかく友達ではなく、教師になれた気がした。それでも、学期の終わりなどには食事に誘ってくれ、一緒にカラオケにも行った。

プレゼントをもらう

中国には教師の日というのがある。その日には、学生からいろいろなプレゼントが届く。6年間の間には何十枚もカードをもらった。今ではこのカードが宝物だ。

教師の日以外にも、よくカードやプレゼントをもらった。例えば、誕生日だ。ある年の誕生日はすごかった。どのクラスに行っても、黒板にメッセージがあり、プレゼント、ケーキや花を準備してくれた。ダンスを披露してくれたり、じゃがいも好きの私のためにじゃがいもをプレゼントくれたクラスもあり爆笑してしまった。どのクラスの授業も変更して、急遽自分の誕生日会にしてしまった。

学期が終わりもう会わなくなる他大学の学生からもメッセージやイラストなどをもらった。ただの日本語教師の私に、プレゼントをくれる学生たち。大したこともしていないのに、すごくよくしてもらえた。

私がいい先生なのではなく、学生たちが純粋で心がきれいだった。

写真を撮ってくださいと言われる

写真を撮ってもいいですか?と聞かれることが多い。まるで有名人かインフルエンサーにでもなった気分だった。

遠くにいる家族に日本人の先生の写真を送りたかったのかもしれない。

皆の思い出の一枚に残れてうれしい。

まとめ

中国で日本語教師をすると確かにアイドルにでもなった気分だった。しかし、私の場合、大半は中国人学生たちの優しさがそう思わせてくれていた。中国人学生のやさしさや寛大さを受けて、私も人に優しくなろうと思った。











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