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こどもとうみ「性教育、以前はエロ本から学んでいたかもしれないが、今は人権を学ぶことであるので、エロ本から学ぶのは??」

 良い塩梅で子育て支援をする人を育てたい!という思いで始めた「アンバイサー養成講座」その中の講座の一つ「幼児期の性教育について」「思春期の性教育について」がある。

 私たちの時代とは違って、ジェンダーフリーだジェンダレスだという言葉が飛び交い、LGBTQ +という言葉も出てきて、そりゃ性教育への考え方も変わって来ているのは当たり前。性だけを学ぶと思われがちだが、人権の学びである。

 性だけだと私たちの時代は、全てはエロ本や友だちからの知識の受け売りで、どれが正しいかどうかも分からなかった性の話。

 私は一人っ子だし、ちょっとスタートが遅かった為、中学に入ってから男の子の友だちから入ってくる情報が入り口だった。当時の男の子の友だちとは、なんと今も仲良くしててお互いにおじさんおばさんになってもいつまでも当時を懐かしんでこの話で大笑いをしている。笑

 中1の頃。そんな彼らが、まだまだ何も知らない私に「お前ショジョ?」と聞いてきたので、コイツら絶対イヤラシイことを聞いてきたに決まっている!と判断した私は、「違うけど!!」と返事。「え〜!!!違うんだ〜マジ〜??」の反応に、「ん?なんだ?この反応?間違えたか?」と思い、「いや、そうだけど。やっぱりそうだけど!」と答えると「え〜!!まだショジョなの〜?」「ん?まだとは??なんだ??ん〜やっぱり違う!」「え〜!!」の繰り返し。「お前、意味分かってないでしょ?笑」「うん、何それ?」ここから始まる「性」の学びだった。。。。最低だ。笑

 今も教育指導要領の中には「はどめ規定」というものがあり、性交そのもののことは教えられない。だから、めだかの受精に例えて、、、とかになる。笑

 日本人特有の奥ゆかしい隠す文化が、今の世界の性教育の問題との間に大きな壁になっている。

 性についてを語る時に、それは人権の問題として語る。要するに性教育が遅れていると、人権の教育が遅れていることになる。

 自分の人権、相手の人権。プライベートゾーンの定義。人はどうやって生まれて来たのか?男女の体の違いは何なのか?どうして違うのか?構造上の違いと気持ちの違いはどうして生まれるのか?

 子どもを育てる中で、お父さんは女の子の身体を知らない。お母さんは男の子の身体を知らない。だから、相手任せになったりする。男の子のことはお父さん任せ。女の子のことはお母さん任せ。一緒に話す機会が少ない家庭が多い。

 お母さんでの受講生から多く聞かれるのは、お父さんに話しても「俺もエロ本とかエロビデオで覚えたから、友だちから手に入れてそのうち覚えるでしょ。」的な返事。教えるものではない。

 そして、時代は変わって、今はエロ本、エロビデオではなく、SNSで覚える時代。過激な表現から入ってしまうと、それが基本となり、それ以下だと物足りなさを覚えたりすることもあるらしい。

 また男の子が女性の生理について全く知らずに大きくなると、彼女が出来てから生理への理解がない為に、「それいつまで続くの?」「旅行とずらせないの?」やら、生理痛の理解なんてもっと遠く「病気じゃないんでしょ?」なんて言葉も悪気もなくかけるらしい。

 人権の問題として、親がしっかりと子どもたちに伝えるべきであるし、学校ではめだかの受精でしか教えてもらえないので、家庭で伝えるべきだと思う。

 その為に、親こそが正しい今の知識を学ぶ必要がある。

 

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