海が好きな理由
私が海が好きです。
波に乗るわけでも、海水浴をするわけでもありません。
ただ、海をボーと眺めるのが好きなのです。
お魚は好きですが釣りもしません。
20代の頃は明石の大蔵海岸によく行っていました。
そこからは淡路島と明石海峡大橋がよく見えます。
夜のライトアップは一段と綺麗です。
近くにドライブスルーのスタバもあり、友人とコーヒーを飲みながらペチャクチャとおしゃべりをしてました。
男子も女子も。
何かあるごとに「海いこー」といっては過ごした場所。
いわゆる青春というやつでしょうか。
思い出ある海岸です。
そこへ久しぶりに一人で行ってみました。
夜ではなく昼に。
気持ちいい風が吹きお散歩日和の穏やかな昼間でした。
相変わらずそこには釣りをしている人、ワイワイ賑わう学生や、バーベキューを楽しむグループがいました。
その中、一人で座る私。
私と同じように一人でゆっくりしている人もちらほらいました。
久しぶりの大蔵海岸は「なんだ、結構狭いな」でした。
思い出補整というやつでしょうか。
想像よりちっちゃかった。
そして、空は広かった。
空の広さを改めて知った1日でした。
大蔵海岸の小ささに驚いた私は、後日、須磨の海岸に行きました。
鉢伏山を少し登って、高いところから海を見ました。
大蔵海岸と須磨では見える景色が違います。
こちらは大阪と、淡路島の右側がよく見えました。
霞んだ和歌山まで見えます。
橋を渡った、あれが関西空港かな。
梅田はあの辺やろな。
和歌山の岬町は多分そこかな。
関西の地図はだいたい頭に入っています。
大蔵海岸に思い出補整がされているのは、きっと、今までいろんな海を見てきたから。
日本海も、太平洋も。
須磨の海だってこんなに広い。
気づけば37年生きてきました。
海の逆と言えば、山。
今までいろんな山を見てきたはずなのに、私の中で山といえば、長野で見た八ヶ岳連峰と浅間山です。
富士山だって六甲山だってあるのに。
長野では毎日見ていました。
山で季節を感じ、山で方角を知る。
長野の生活は山なしでは語れません。
もしかしたら、その浅間山も思い出補整がされているのかもしれません。
「なんや、そんなにやん」
と思う日が来るのでしょうか。
たった37年の人生でも海を見て楽しめるんだから、もっと生きたらもっと楽しめるんやろな。
遠くで同じように見ているおじいさんと自分を重ねながら、海をぼーと眺めていました。