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引っ越して一ヶ月が経ちました

関西に戻ってきてはや一ヶ月。
この一週間ほどでこちらも涼しくなり、ようやく長野の8月の気温になってきました。
涼しい。窓を開けて寝れる習慣が懐かしい。

この一ヶ月は何もしてないのに、もう終わろうとしています。
無職。
主婦。
図書館やスーパー、カフェで時間を潰し、アプリゲームをしていたらもうすぐ10月なのです。恐ろしい。

友人や家族とも楽しい時間を過ごしました。
地元のお店やカフェに行き、徐々に関西かおりを呼び起こしてきました。
関西弁にも慣れ、もう120%関西人になりました。

…そうです。私の中の長野がもう無くなりそうなのです。

実はうっすら気づいていました。
暑い暑いと汗を拭いながら寝ていた9月。
そんな時は長野の風景を思い出しながら眠りについていました。
静かな風、緑の匂いがする空気、虫の音。
それがここ一週間ほどは、長野を思い出さずとも眠れるようになりました。
気づかないふりしてたけど、やっぱり長野が遠くなりました。


慌てて長野のお店で買った商品を並べ、部屋にディスプレイしました。
この一ヶ月は暮らしに慣れるのが優先で、部屋を整えることを後回しにしていたからです。
…ふむ。なかなかいいやん。
花器を置いて私の長野コーナーができました。

長野コーナーの花器には季節の花を飾ることにしました。
お店に飾っていたようにしたら、なんてことない我が家も長野のお店のように華やかになったからです。

もしかしたら、このコーナーは長野に繋がるどこでもドアかもしれないなぁ。。
友人と過ごした長野が目に浮かびます。


話は変わりますが、長野で拾った石も兵庫に持って帰ってきてました。
これも、なんてことないシンプルな石ころです。
片手で握るのにちょうどいい形をしていて、お店ではたまにペーパーウェイトとして活躍してました。
なんとなく気に入ったのでそのままポケットに入れて持って帰ったんです。

長野コーナーを作ったら突然その石ころも思い出して、久しぶりにギュッと握りました。
気づけば私は寝ていたようで、起きてもその石は握ったままでした。

その辺に落ちてた石ころを握って昼寝をする幸せ。
私の人生にはどんな高級品よりも、石ころを愛でる時間があることの方が大事なんだなぁ。
と、夫からしたら若干ホラーな行動をとっていました。
石と寝る女…いやですよねぇ。


あんまりよく知りませんが、石は記憶しているそうです。
地球ができてからの歴史とかそうゆうやつです。
水も記憶しているそうです。
そんな浅い出どころ不明の情報ですが、水とか石とか自然なものって、人間を超越する何かなんだなぁと思いました。
ある人は神様だとも言っていました。

今の科学?研究?では石ころはただの石ころだと認識されています。
でももし100年後とかに、石の記憶が解明されたらきっと面白いと思います。
地球ができてからの何十億年のこととか、今日私が握って寝ていた記憶も見れるはずです。

もし、解明されるまで生きてたら私はその石ころで、本当に長野を見ることができるはずです。
風。空気。鳥の声。友人との会話。
それって本当のどこでもドアやん。


物理的にも心理的にも遠くなった長野を思い出し、そろそろ職を探そうと思い腰を上げました。
あまり乗り気ではありませんが、長野に行くためのお金を貯めるため働かねばなりません。
石ころを愛でる時間を確保しながら、関西の暮らしも充実させていこうとなんとなくそう思いました。






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