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身近な人間関係にどっぷり浸かったら意外と心地いい。

9月に関西に戻ってきて、実家や義理の実家の付き合いが増えました。
年に数回しか会わなかったのにほぼ毎週会っています。
結婚して7年。
こんなに頻度が高いのは初めてです。

引っ越しの翌日に姑と義理の妹が家に遊びにきました。
翌週は須磨シーワールドにこの3人で行きました。
姑ともあまり一緒に過ごしたことないのに、妹さんとも半日のお出かけ。
…うん、私頑張った。

実家には毎週帰っています。
新居の鍵の引き渡しまでの宿泊。
色々と援助をしてくれたのでありがとうのご飯会。
お墓参り。
法事。
27歳で実家を出てから毎週両親と会うのも初めてです。

予想はしていましたが、家族や友人などどっぷり深く関わっています。
今までは一人でふら〜としてたけど、そうも行かなくなりました。

「マクドとケンタの月見バーガーを食べ比べたんよ」
「一緒にシャチのショー見に行こう」
「お母さんが好きな酢豚紹介するなぁ」
「かおりちゃん久しぶりやなぁ」
「はよ子供作りやぁ」

ずっと仕事の友人に囲まれていたけど、今は生産性のない会話を心から楽しんでいます。
余計なお節介も、身にならないプチ情報も、全部とても新鮮です。

「そういう言葉を言ってくるんやな〜」
不快に感じる言葉を言われても、面白さを感じます。
それは”37歳の店員さん”ではなく、”昔から知ってるかおりちゃん”に言われている言葉だから。
"37歳の女性"ではなく、"娘(もしくは嫁)のかおり"に言われている言葉だから。
こちらの意志とは関係なく、思ったままの言葉を投げかけてくれるのが心地いいんです。


「長野にいはった娘さんよね?」
お寺の住職さんからおかえり、と言われました。
住職さんは夫の職場も知っていました。

「奥さん何しとん?うちで働かん?」
夫の知人から連絡がありました。

「そこまで来たらうち寄ってよ!」
友人から連絡がありました。

「そこに同級生の○○さんおるで」
面識ない同級生が近所にいるそうです。


気付かぬうちにこの10年間、頑張ってきたのかなぁ。

過去には、友人や家族からの言葉が疎ましく感じることもありました。
「そんなんあんたに関係ないやん」
度々思っていました。
偶然にも、その言葉が届かない土地で暮らすことが長くなりました。
職場での人間関係が多くなるにつれ、その言葉は身の回りから消えました。

10年ぶりに疎ましく感じていた言葉を浴びて、頑張って牽制していた自分がいたことにようやく気がつきました。
チワワが睨みをきかせながら生きていたのです。

今は、”仕事を頑張るかおり”でもなく、”自分の意志を通すかおり”でもありません。
ただのかおりです。

ただのかおりは、生きてるだけでいいんです。
仕事で頑張らなくとも、家事を手抜きしてもいいんです。
ただのかおりは、その場にいるだけでいいんです。
友人と食事を楽しみ、夫と日々を暮らすだけでいいんです。

ただのかおりには、思いもよらぬ言葉を受けることや、生産性のない時間を過ごすことも必須です。
興味のない子供の写真や、月見バーガーの味の違いを聞かなくちゃいけません。
昼寝やひとりの時間の代わりに、乗り気のしない場所に行くこともあるでしょう。

でも、”ただのかおり”を望んでいる人たちがいる限りやるしかないよなぁ。
老いていく親を見て、ただのかおりを全うしようと思いました。


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