仏教心理入門 第5回「悲観と楽観」
「仏教心理入門」では仏教の教えをもとにしながら、じぶん自身の心に寄り添うヒントをわかりやすくみなさまにお届けします。
さっそく今日のテーマ「悲観と楽観」です。
「悲観と楽観」と聞くと、どんなイメージを思い浮かべますか?
悲観がネガティブで、楽観はポジティブ?かな。
文字から連想すると、悲しいが暗くて、楽しいは明るい、というイメージもありますよね。
今日はそれとはひと味違った、仏教のものの見方を通した「人生に対する悲観と楽観」について一緒に考えてみましょう。
悲観と楽観は誰でも持っているもの
悲観と楽観というものは誰もが持っていて、でもどちらも持っているけれど同時に使うことができなくって、人生の中で常に入れ替わっています。
では、私たちはどのようにして悲観と楽観を入れ替えているのでしょう?
仏教の「ものの見方」というフィルターを通して悲観と楽観という事柄に意味付け、定義づけすると、こんなふうになります。
悲観というのは、人生の不安や苦しみに対して抱く感情です。
一方、楽観とは、人生に対する希望や前向きな考え方でもあり、意志です。
そうなんです。
実は悲観は感情で、楽観が意志なのです。
そして、本来は 楽観は人生全体に、悲観は人生のところどころに影響してくるものです。
意志を保てれば楽観でいられる。感情の方に引きずられていくと悲観が続いていく。実はものすごく単純なことなんです。
でも、意志を保つことがなかなかできないから、悩んじゃいますよね。
「なんだか感情に振り回されてしまう・・・」
みんな実はこれが悩みの根本なんじゃないのかな。
「心の師とはなるとも、心を師とすべからず」
ここで日蓮聖人が言葉を紹介したいと思います。
それは、こんな言葉です。
「心の師とはなるとも、心を師とすべからず」
この言葉で、「心」という言葉は「感情」という意味で使われています。
「感情」を自分の師匠として生きていると、それに翻弄されて自分が歩きたい方向に歩いていけないよーということです。
ですから「心の師匠にはなっても、心を師匠にしてはいけない」。
この「心の師匠となる」ものが「意志」つまり楽観で、楽観と悲観のバランスが取れた心を「信心」とも言います。
人生、山ばかりじゃないね
ここでひとつ質問です。
「あなたのここまでの人生は、すべて思った通り、望み通りに進んできましたか?そして今、望み通りに進んでいますか?
望み通りに進んでいるなら、普通はおめでとうって言葉を送るべきなんだと思うんですが、お釈迦様(ブッダ)は、そうは言わないということを今からお話ししますね。
人生は、じぶんの望み通りに進んでいると思っている矢先に、逆の作用や結果がまた到来するようにできてるっていうんです。気分がいつもいいなどということは、感情に任せて生き続けていたとしたら、あり得ない。
自分にとってよいことが来たら喜び、悪いことが来たら悲しむという感情とか気分に任せたサイクルで生きていると、悲しい出来事や理不尽なことへ対応するための心の体力が落ちてしまうんですね。
嬉しいことより悲しいことの方が一発のダメージが大きいので、こころの体力が消耗されていきます。
それを繰り返していると、結果的に悲しいことの方が多くやってきては自分の元へ残り続けていきます。
最初は「もやっ」くらいでも、積もり積もっていくと、やがていらだちや怒りが沸き起こってきます。
こういう感情ってそれ同士で融合を繰り返していってどんどん大きくなります。
そこまでいくとどうなるか。
思い込みや妄想が沸き起こって、周りや世の中を恨むようになってきます。
他人や自分に対して言葉で傷つけるようにもなっていきます。
かなり強い言葉を並べてしまいましたね。
そうは言っても、もちろん感情を捨てる必要はありません。
喜びも、悲しみも、怒りや虚しさも、人間らしさであって、絶対ダメというものではないので、それは誤解しないでくださいね。
感情だけでなく、必ず「意志の力」が必要になるということなのです。
日頃から大切にするとよいのは「感情に任せず、感情に流されない」こと。
そのために楽観を固めておく。
楽観とは、人生に対する希望や前向きな考え方、であり意志でしたね、
これをひとことで表すなら人生の「目的」を決めておこう、自分で知っておこうということです。
エントロピーの法則
ここで少し話を変えて・・・
あなたは、エントロピーの法則ってご存知ですか?
エントロピーの法則とは「物事は放っておくと、乱雑、無秩序、複雑な方向に向かい、自然と元に戻ることはない」というものです。
「部屋の片付け」を例に挙げてみましょう。
気分や感情に任せて放置された部屋は散らかってゆくばかりで、何もしなければ整理されることはありません。
じゃ、部屋を整理するにはどうすればいいか?といえば簡単なことで「片付けよう」と意志を持って片付ける。「いつもこれくらいは綺麗にしておこう」と自分の中でルールを決める。
私たちの心も「部屋」とまったく一緒で、「意志」を持たず、その力を発揮せずにいたら、感情たちばかりが前に前にと出てしまい、無秩序に絡みつき、複雑な状態に陥ってしまうのです。
意志を持って、じぶんの意志に基づいて決めたルールの中で生活をしていると、感情もその時々でムラが出ることが少なくなってきます。
自分のの意志で進んでいるので、幸せだし、笑顔も自然と出てきます。
そう。楽観(=意志)は心の平和を保つために大切で重要なものです。
楽観的な考え方は、困難に直面しても悲観を表に出さずに前向きな姿勢を維持してくれる、悲観に対する常備薬のようなものですね。
ただし、無謀な楽観は自分を苦しめることにもなりますからね。
気をつけましょう。
そして、現実を冷静に見つめて日頃から平常心でいる時間を長くたもてると、楽観はいい方向に作用してくれるなあと思います。
楽観を保つと「利他」と「中道」がみえてくる
そうやって楽観を保つことは自己の成長と同時に「他者への奉仕=利他」に繋がるとされています。
この「他者への奉仕(利他)」が増えていくと、次第に楽観も悲観も溶け合っていき、楽観と悲観の壁すらなくなるっていうことです。これが悟る、ということです。これはすごいことですね。悟ることは「中道」を歩めるようになると言います。(中道とはどちらにも偏らない、ちょうど中間の道、ということ)
中道、それはなかなか生きている間に達成はしないものですが、まずは楽観と悲観とはどういうものか知って、上手に付き合っていきましょう。
悲観と楽観は表裏一体
悲観を受け入れることについて、昔の言葉でこんな言葉があります。
「悲観も突き詰めて行って、この上悲観のしようもなくなると楽観に代わり 笑いさえ込み上げてくる。」(岡本かの子)
この言葉には、深い教えが込められています。私たちは人生の試練や困難を乗り越える中で、悲観というものには「限界=行き止まり」があって、行き止まりまで行っちゃうと、楽観に引き返すしかないよね、ということを教えてくれる言葉です。
もしも悲観の最中にいても、行き止まりがあると思えば、心が軽くなる。
そんなふうに思わせてくれるる言葉です。
否定する心はそこに自分を佇ませるだけ。だから否定しない。受け入れる。
楽観と悲観、どちらとも上手な付き合うには、どうしましょうか?
まず、悲観を否定せずに受け入れることって大事だと思います。
否定しないって意外に難しくって、悲観的な感情が浮かぶと「だめ」とその感情に向かって言ってしまってるのが人間です。「だめ」を言うと言うことは、そこに囚われて自分をその場に佇ませ続けることになりますから、優しく手放すためには囚われないことが大事になってきますね。
じぶんのその悲観的な感情にまず「だめ」ということはやめて、一旦受け入れる。
お釈迦様はその「受け入れる」ことができるようにするために、日頃から慈悲と叡智を養いましょうね、とおっしゃっています。
慈悲とはいつくしむこと、そして叡智とはものの道理をよく知っておくこと。
なかなかこれも難しいことですが、意識して生活するだけでも心の矢印の方向が変わっていくと思いますので、ぜひ参考になさってください。
心のお掃除の仕方を具体的に考えてみた
ここまで悲観と楽観についてお話ししてきました。
誰でも持っているこの2つ。私たちが、悲観と上手に付き合い、楽観を有効に活用するのに一番大事なことはなんだろう?と私も色々考えてやってみました。
その中で、やはり自分の周りの物事を常に落ち着いて見つめ、今ここにある自分の心を観察していく習慣をつけるのが大切なんじゃないのかなぁと改めて思っています。
落ち着いて見つめるためには、できれば悲観も楽観も全部紙に書き留めて、眺めるのがいちばんやりやすいと、色々試してみて思いました。
考えているだけだと、その間にまた別の感情が生まれて、その生まれた感情に気を取られて冷静になりづらいのです。
どのタイミングで浮かんだ感情なのか、絡まってわかりづらくならないために、一旦書き出すことで外に出しておくと、整理しやすいと思います。
部屋の掃除と一緒です。
そして、観察できたなら、その感情に向かって「そうなんだね」と話しかけてみてあげてください。悩んでいる親友に話しかけるようにそっと。
「そんな感情があっても君のことが大好きだよ」ということも伝えてあげましょう。
そうすることで、きっと、その感情自身が抱く「不安」が少しだけ取り除かれることでしょう。
私の好きな言葉に「じぶんファンクラブ会員番号1番」という言葉があります。
どうぞ、あなたも、いつでもじぶんファンクラブ会員番号1番でいてくださいね。
心の掃除、ぜひお試しください。
まとめ
現代では仏教に限らず、宗教に限らず、哲学に限らず、さまざまな素晴らしい智慧を拝借できる時代です。
きっと自分に合うものを見つけることができると思います。
それを通じて(ある意味、拠り所にもなるのでは?)、じぶんの心の無限の可能性を開花させ、悲観から楽観へと転換していくことができれば、より心豊かに、幸せに日々を紡いでいけるんじゃないかな?と思っています。
「心の師とはなるとも、心を師とすべからず」
ということで、本日もお読みいただきありがとうございました。
次回もお楽しみに。良い一日をお過ごしください。