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ある湖水地方の年代記(1)

 その湖水地方は東の果てにあった。生命に富み、食物豊かにして気候穏やかなその土地は、常世とこよさとと呼ばれていた。その地方は山並みも多様であったから、地形も高低に広く多層的に高さを並べ、生態系は多種多彩であった。自然がつくった生命のの内でも最高傑作の一つであっただろう。それがその湖の周辺にあった。
 その湖水地方は東の果てにあった。
 「東の果て」とは奇妙な言葉である。「東」とは素朴な、現実的な言葉であり、地球という図形の表面に在る私達にとって常に存在する対象である。人間が生きている間に「東」という言葉の対象が失われることはないであろう。
 「果て」という言葉も素朴である。それは何かの終わりなどを意味する。私達は生命の「果て」を何度も目にするし、道の「果て」などの空間上の「果て」も知っている。
 しかし「東の果て」なる言葉は素朴ではない。地球が球体であることが絶対的な常識となった私達にとって、「東の果て」が実在しないことは明らかだ。ただ人間の地理学的な都合で、「東の果て」と呼ぶものが仮想されているに過ぎない。私達の地上が平面ではなく球面であることが分かって数世紀が経つ。それなのに「東の果て」という言葉が、単なる地名や枕詞のような意味を失した言葉ではなく、未だに文字通りの意味を以て使われていることは言葉の驚異である。ここで述べておきたいのは、「東の果て」とは、極めて芸術的な言葉だということである。……ここでいう「芸術的」の意味は広義である。芸術は、実存ではなく仮象を表示することもあれば、巧みな技術を現実に応用することでもある。人類は「東の果て」という仮象を共通言語に認めることで、自分たちの情報処理を楽にできているのである。
 「東の果て」が芸術的な言葉であると述べたのは、この年代記の性質を示すためである。これは年代記である。私達はここに、ある湖水地方を扱う。そしてここに記されるのは学術性の期待できる歴史ではない。自然史でもなければ地方史でもない。この著作物に学術的な性質を付与するのであれば、「東の果て」という常識的な言葉、実在しないものを指す言葉を、私達は使うべきではない。そしてそれについて態々論及もしない。この著作物は、解釈の余地を多分に残す、あるいは断定を避けてばかりで仮象に満ちている。だから私達は、年代記という文芸的な形式を選ぶ。そしてこれから私達は一つの湖水地方を扱い、自然素朴な実在である湖と、人間の「芸術」との関係性を問う。だから私達は「東の果て」という言葉を象徴的に用いるのである。
 その湖水地方は東の果てにあった。その土地で、人間だけは疑いなく恩恵に浴してきたと言える湖は、広さが凡そ二百平方キロメートル、深さは平均五メートル、最深約七メートルであった。
 この最も基本的な水塊の情報を知り、湖沼や地理に覚えがある人間であれば何かを考え始めたであろう。そうでない読者のために、筆者らは湖沼学の導入にある問題を示す。
 湖とは何であるか? この定義次第で、私達にとって湖が地上にいくつあるのか、どれを計上するべきなのかが変わってくる。仮に最も広い定義を採用すれば、私達が湖を数え上げることはできない。何故なら湖を最も多種多様に包括する定義では、道の水溜まりでさえ湖ということになるからである。私達が街を歩いていて通り過ぎる、仮に踏み入っても靴が浸水することすらない、極めて浅い水溜まりでさえ、私達は湖として数え上げる羽目になる。
 湖を定義するのは、科学にとって、市民社会にとって必要であるが、ここではしない。この文芸作品はただの物語であり、議論と決定を目的としていないし、そして定義も必要ではないのである。何故ならここで筆者らが扱う湖はただ一つであり、その水塊が湖であることは、市民社会において承認されているからである。
 さて、筆者らが定義をしないにもかかわらず、湖とは何であるかという問いを示した釈明をしよう。筆者らは極端な定義の例において浅い水溜まりについて述べ、湖が多種多様であり得ることを示唆した。その意図は、私達の対象であるその湖もまた、常識的に視ても相当浅いということである。それは決して珍しいほどではないが、やはり数百平方キロメートルの面積がありながら十メートルも潜れない湖というのは少ない。そして相対評価に依らずとも、この湖を物語るために最も重要な特徴を挙げるならば、それは湖の浅さであろう。平均五メートル、最深七メートルとは、世界の湖に照らしても浅過ぎるのだ。
 例えば湖沼学の聖地であるスイスの湖と比較してみよう。スイスには私達の湖と面積が同規模の水体が二つある。一つはヌーシャテル湖と言い、その名前の形は、筆者らの言語に対応させるならば新城湖とでもいうことになるのであろう。二つ目はスイスの隣国イタリアと湖岸を共有され、イタリアで二番目に広い湖でもあるマッジョーレ湖であり、その名前は「大きい」という形容詞に由来し、最上級ではなく比較級を用いて「より大きい湖」という形の名前を持っている。これらヌーシャテル湖とマッジョーレ湖の面積は私達の湖と同規模である。しかしヌーシャテル湖の深さは平均約六十五メートル、最深約百五十メートルであり、マッジョーレ湖の深さは平均一七七メートル、最深三七二メートルである。この深さを以て水体の姿を想像しようとすれば、私達の湖は湖と呼ばれ得るのかと、一瞬間は躊躇されることになる。これら三つの湖の半分の面積しかないルツェルン湖、「四つの森の州の湖」と呼ばれる象徴的な、人間は百平方キロメートル程度であれば、それを囲う四地域の間で協和し得るのだという人智についての示唆を与える名を冠された湖でさえ、平均水深は百メートル程度、最深域では二百メートルを潜ることができる。


 「ある湖水地方の年代記」(1)終わりです。
 ありがとうございました。
 続きは文学フリマ東京39にて頒布予定です。

 この「年代記」は文学作品『願望と献花』の第1部2章です。
 第1部1章こちらよりお読みいただけます。

#1 第1部1章 堤防と風の対岸 | 願望と献花 - 浅間香織 KaoriAsamaの小説シリーズ - pixiv

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 ↓は筆者撮影の琵琶湖の写真です。素人撮影なので悪しからず……。

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