いまそうしたいんだ私は、という欲求 |「もったいない」の価値基準
好奇心とか、なにかをしたいと思う欲求とか、どこかへ行きたい気持ちとか、そういう炎は、ぱっと生まれては消えていく。
ずっと残ることももちろんあるけど、あるとき生まれた気持ちは、ふとするともう別の思いに上書きされて弱火になってしまっていることも多い。
生かされなかったその思いが、ちょっともったいなくて残念に思うことがある。思ったそのときに行動できて、実現できることは稀で、だからこそ、それができたときはすごくすごく満足感がある。
「もったいない」の価値基準
友人が日帰りで沖縄(石垣島/竹富島)へ行ったときいて(日本最南端のスタバに行くのが目的だったんだって!)、わたしは「すごい、イイ!」って思ったけど、たいていの人は「もったいない!」って言う。
まあ、たしかに。
すごいお金をかけて日帰り。
けど、「もったいない」ってなんだろ。
やりたかったことを、そのやりたかった瞬間に実現できた。
それはもったいないことかな。
わたしが勤めている会社が(外資系)、世界中にちらばっている社員を一堂に集めて、タイのプーケットで社内イベントを企画した。
もちろん費用はすべて会社もち。3泊4日の旅。自分のバケーションを前後にくっつけるのもアリ。
わたしは諸々の事情により参加を見送ったけれど、そう言うと全員が全員「なんで!もったいない!」って言う。
でもわたしにとっては全然もったいなくなかった。
すごく行きたい場所、会いたい人がいたら行っただろう。
(ふだん会えない社内の人に会う。わたしにとってはそれがリスクを上回る楽しみにはならなかったのは残念)
帰国できないかもしれないリスクとか、昨秋に罹った網膜剥離の再発のリスクとか、そういうことを考えずに行っただろう。
いまのわたしには、もったいないと思うだけの価値がなかっただけ(残念なことに)。
タダのものはなんでもお得なのか?
ものごとには、時間とお金とエネルギーをかけている。
それぞれの価値基準に照らして、もったいないと思うか、それともその選択に価値があるとおもうか。
「せっかくだから」とか「コスパを考えると」とか、もしかしたらその考えこそが「もったいない」のかもしれないとも思う。
いま、そうしたいんだ私は!
その思いにそって、やりたいことをする、行きたい場所へ行く。
ただひとつの目的のためにそこへ行く。
いいじゃないか。
あるいは、「それをしない」と決める。しないことを選択する。
サッカーのアウェイゲームで地方へ遠征に行くと、私はどうしても「せっかく交通費かけて来ているのだし」と、いろいろ観光したくなる。
でも、遠征行って観光せず、さくっと帰る友もいる。
かっこいい!
それもよし。
自分のエネルギー(お金や時間もエネルギーだと思う!)をどこにつかうか。
もりもりパツパツにつめこんでスペースなくなることは、もしかしたらそれこそが「もったいない」かもしれないよね。
自分の中の優先順位をみきわめること。
なににお金や時間やエネルギーを使いたいか。
それをわかっていたいなと思う。