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【織々ノ記】#103 ストレスだけが人生だ

10月は神無月というだけあって、神も仏もないぐらい、ストレスばかりの生活だった。

まず、修論の進捗が非常にまずい。これは100%自分が悪いのだが、それでもなんでこんなに苦しまなければいけないんだと、誰かに怒りをぶつけたくなる。もちろんその相手は過去の自分だから、結局どうしようもない。

本当はこんなnote記事なんか書いていないで、少しでも修論を進めるべきなのだが、現実逃避にキーボードを叩いている。自分の思いついたままに文章を綴れることがこんなにも気持ちのいいことだなんて、改めて実感する。

嘆いてばかりいてもしょうがないので、とにかく提出までの数十日は修論シフトの生活に切り替えて、全身全霊で臨まなければならない。なにせ卒業がかかっているのだ。いつまでもレポート気分で「まあなんとかなるだろう」と考えていては、その先には破滅しか無い。


ところが、集中してことにあたらなければならないこの時期に、人間関係の問題で深刻に悩む日々がずっと続いている(プライベートな話なので、少しぼかした言い回しをしたが、まあ要するに異性の問題である)。

こういう人間関係の悩みはとうになくなったと思っていたのだが、大事なこの時期にして恐ろしくも首をもたげ始めている。

自分1人の問題ではないはずなのだが、なぜだか自分ばっかりが考え込んでいて、キャッチボールしようとしても、ひたすらに壁当てをしているだけの状態になっている。

せっかく最近始めたダイエットも、ストレスによる過食でプラスマイナス0の状態である。たたでさえお金がないんだから、無駄な出費は抑えなければならないのだが……。

そんなこんなで、現状「修論」と「人間関係」の大きなストレス2本柱が、僕の心のなかにどでかく鎮座ましましている。どちらもすぐには解決しない上に、解決にはとんでもない労力が必要な問題だ。

気分転換しようにも、どこかに出かける時間もなければ、何かを買うお金もない。家と大学図書館と週一のバイト先をぐるぐる巡るだけの生活がこの数週間続いている。変わり映えしない光景にますます気持ちが落ち込んでくる。

誰かにこの気持ちを吐露したいと思っても、友人の少ない自分にそんなことを相談できる相手もおらず、どんどんと塞ぎ込んでいってしまう。

ついには日々生きている意味を問い始め、答えのない迷宮に迷い込み、行き止まりで一人泣いている。

解決策などない。少なくとも僕の手元には何もないのだ。道の先を照らす電燈も、どこに行くべきかを示す地図もコンパスもない。

今はただ、つらくならないように、耳も目も閉じて、ぎゅっとうずくまることだけをしている。

【今日のタイトル元ネタ】
唐代の詩人于武陵の詩「勧酒」に付した井伏の訳。
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離 
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

個人サイト(http://ogikubo-bunshi.a.la9.jp/toku-kanshu.html)より