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【織々ノ記】#37 利休と学び

2023年4月9日

 今日は利休忌茶会に参加してきた。千利休の命日は旧暦天正19年2月28日、この年は閏正月があったため、新暦に直すと3月か4月ごろになる。表千家は3月27日に、裏千家は3月28日に毎年執り行っているが、自分の所属する団体は今日実施した。

菜の花の練りきり
黒楽茶碗

 昨年は献茶式の執行を担当したが、今年は一般参加者として参列した。ただし、自分が点てないからと言って、暇なわけではない。普段の稽古でもそうだが、ただ人の点前を見ているだけではいけないと思っている。

 自分が点てていない時でも、点てている人の所作をしっかり見ていると、自分の所作の粗を発見することがある。「人のふり見て」とはよく言ったもので、他人の行動で改めて認識することは多い。

 弓道を習っているときも、これに似た感覚があった。人数と道場の構造上、1人が何度も的前で練習できるわけではない。2,3時間の練習時間のうち、見ている時間の方が多いぐらいな気がする。そんな状況では、人の射を見て、自分の射を顧みる姿勢が何より大事だったと、今にして思う。

 これをさらに広げてみれば、今バイトで務めている塾なんかも同じことが言えそうだ。生徒は普段の授業の中で学びを得てテストの点数を上げるために精進しているが、生徒を教えている自分自身もまた、学ぶことがたくさんある。

 こんなことを言ってしまうと、ありきたりでチンケな感じがするが、学びの機会は日常の至るところにあるのだなと感じる。


 そういえば、随分前に購入した『独学大全』が未だに積ん読状態だ。SNSでかなり話題になった書籍だが、目次にざっと目を通してそれきりになってしまっている。学部1年の頃に出会いたかった本だと思いつつ、結局まだ読めずに大学院ももう折返しを過ぎてしまった。

 くわえて茶道に絡めていえば、15年も習っているわりには、座学関連の知識––––例えば千利休の伝記や茶道の歴史、精神性に関する読み物––––に全く触れずに過ごしてきてしまった。

 毎年利休忌をきっかけに茶道を学ぶ姿勢を正しているが、今もう一度茶道に限らず、広く「学ぼうとする姿勢」に気を配りたいと決意する次第である。

(了)