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🌱「不登校」にも分類がある

一括りにするのは思考の放棄


「大人」
と言っても、いろいろいますよね。
穏やかな大人、キレ過ぎる大人、おおらかな大人、
嫌みったらしい大人、優しい大人、明るい大人、
暗い大人、子供みたいな大人、口うるさい大人・・・

「社会人」と言っても、いろいろいますよね。
マジメに働く社会人、趣味に生きる社会人、
出世コースに乗った社会人、諦めた社会人、
ヤル気に満ちた社会人、日々流している社会人・・・

良くも悪くも、いろんな人がいる。
それを一括りにしてしまうと
「あの人と私は違うんだけど?」
「一緒にしないでよ!」
みたいな話も出てくるわけです。

人間は、特におとなと呼ばれる人たちは
一括りにされるの、嫌なんじゃないんでしょうか。

なのに学校に行けない子に関しては
どうして「不登校」と一括りで
決めつけられてしまうのだろう・・・

と、ふと思ったわけです。

一括りにして議論すればそれっぽく見えるから?
それとも、想像するのが難しいから、
とりあえず大きな枠で論じることしかできない?

いずれの理由であっても、
強い言い方をあえてするならば
一括りで考えるのは「思考の放棄」に他ならないと
私は思います。


「不登校」にももちろんいろいろあります


「不登校」とは長期に渡り学校に行けないことですが
別室なら行けたり、フリースクールには行けたり、
いろんなパターンが実はあります。

※もちろんリアルな話をすると、
 もし別室に行けたら
 「登校」とカウントされることもあるようで
 「不登校ではない」と言われると
 なんとも言えないところではありますが。

個々人の状態に寄り添うことが
最善策であるのは間違いないのですが
もう少し細分化してみるのはどうでしょうか?

その時のポイントは、原因で分けないこと。
原因は、子供自身も明確でない場合があります。
追及し過ぎることが子の負担にもなりますし、
それを取り除いてもエネルギーが戻るとも限りません。

ならば原因ではなく、まさに今の状態
「不登校」になって以降の子の状態や特徴によって
分けて考えてみてはいかがでしょう?

例えば私が細分化するとするならば・・・👇

否集団 : 集団に入ることを拒否している
否教室 : 教室に入ることを拒否している
嫌学校 : 学校そのものがもう嫌だ
嫌先生 : 先生が嫌いだ
嫌校則 : 校則が嫌だ
避差別 : 差別的扱いから身を遠ざける
避暴力 : 暴力から身を遠ざける
不可起床 : 朝起きられない
不可板書 : 板書ができない

もっともっとありますけどね

状態が細かくわかってくれば、
他の手段も提案しやすくないでしょうか。
もちろん、子供に生きるエネルギーが
溜まってきてからでないと意味はないので、
フェーズの見分けには注意が必要です。


誰かを糾弾している間は何も解決しない


「不登校」というものに対して
一括りで声高に意見を述べる人たちに言いたい。

その時間があるなら、もう一歩踏み込んで
細分化してみましょうよ。
その方がよっぽど建設的に
何かとっかかりが見つかるかもしれません。

「否集団」であれば、2~3人の場を設けてみる。
「嫌学校」なら、学校そのものから連絡含め距離を取る
「不可板書」なら、画像で対応する・・・ などなど

何かヒントが思い浮かぶかもしれません。

子供達自身も原因追究を望んでいるわけではなく
自分がこれからどうなるのだろうという
不安を抱えているのだと思います。

「不登校」は一括りにできるのではなく、
状態によって千差万別であること。

これが世の中に認識され、
世の中が個々の状態に少しでもマッチするような
手段を真剣に考えることができれば、
もう少し子供も親も、生きやすくなるんじゃないかな・・・

ふとそんなことを思った夜でした。

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