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路地裏の隅っこで
ある日、私は路地裏に迷い込んでしまった。
いや、正確には
迷い込んだ先が路地裏だったということに
私は後で知ることになる。
路地裏は地図に載っていますか
その路地裏は、
どこから入ればいいのかわからないようでいて
つるんと間口を開けている。
その路地裏は、
偶然立ち寄ってしまった新参者に厳しいかと思いきや
あたかも両手で抱き締めてくれるような
居心地の良さである。
その路地裏は、
その路地裏の居心地の良さを大切にするものが集っているが
お互いがなにを言っているのか、全然わからない。
そんな路地裏。
意思疎通できているのかできていないのか
それでもみんな楽しそうで
まるで桃源郷。
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その路地裏が路地裏として認知されるまで
3年もの間、たった一人で
路地裏を整備し続けた人がいた。
その人は
自らが生み出したただ一言を愛し、
その一言の秘めた力を疑いもせず、
それを面白がる人間の広がりをひたすら信じた。
そのやり方は、
確かに効率的ではなかったかもしれない。
しかし今の世の中に似つかわしくないような
地道で実直なスタイルが
ついに大きなうねりとなったのだ。
それはもはや「サライ」
私達は、
実は信念のかたまりであるその一言を
今日も欲し、今日も唱えようとする。
いや、もはや唱えるどころではない。
24時間テレビの「サライ」のように
noteの世界では万民が知り、
万民が口にしてしまうような
そういうものへ神格化したのだ。
私はこの路地裏で、
その瞬間を目の当たりにしたのだ。
(ただし「サライ」が神かどうかはわからない)
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大きなうねりとなった
note版「サライ」は
これからも継承されていくのであろう。
そう私もその一人。
路地裏の居心地の良さに魅せられ、
ついつい
「今日やってる?」と
覗きたくなってしまうのだろう、これからも。
なんなら自分が作った言葉との親和性まで
真剣に考察してしまうほどの中毒性。
もう抜けられない。
たぶんそういう人が路地裏付近にたむろしている。
間違いない。
この方の起こしたうねりが
ド素人に毛が生えたような人間であっても
「noteの発信を楽しく続ける」ための
1つの手法を確立したということに
noteに関わる皆々様は知るべしなのだ。
そしてやっぱり
今日も声高に叫ぼうじゃないか。
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