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それは「わたし」がつくったのではなく、「何者」かがつくったもの=マックス・エルンストの場合。
マックス・エルンストのコラージュが、他のシュルレアリストのコラージュと比べて突出しているのは、コラージュの制作過程がまったく違うから。
普通は画家の主観に基づいて幻想的なコラージュがつくられる。つまり「私」がつくっている。
ところがエルンストの場合は、コラージュの素材が「自ら結ばれあって」、それをエルンストが客観的に見ている。つまり、それは「わたし」がつくったのではなく、「何者」かがつくったもの。
まさかの大統領! えー? 私がですか?!
読み応えがありましたねぇ、この本、「まさかの大統領/ハリー・S・トルーマンと世界を変えた四カ月」。
トルーマン大統領っていうと今でこそ有能な大統領だったっていう評価がある人だけれども、ルーズベルトが脳卒中で急死したことから、副大統領から繰り上げ式で大統領になったときには、国民の反応は「え? あの人、誰?」って感じだった。そもそもアメリカの副大統領なんて「世界一無駄な職業」と揶揄されるように、大統
エドワード・ホッパー、『コンパートメントCカー』
エドワード・ホッパー、『コンパートメントCカー』。
ホッパーが憧れた列車のイメージは、風景を一直線に横切っていく列車のイメージだった。永遠に変わらないような車窓のありふれた景色は暮れなずみ、やがて夜の闇に包まれようとしている。湿り気を帯びたような鉄のレールの上を一定のリズムを刻みながら重い鉄の車輪がすべるように走っていく。ほとんど空っぽに近い客車の中はすでに沈黙が支配し、ただ一人の女性を乗せて車両