ズシリと重い本だった(あ、重さじゃありませんよ、読後感がです)。 アメリカとメキシコの国境を目指して命懸けの逃避行をする大量の移民たち。でも、誰も自ら望んで移民になりたいなんて思う人はいない。「去りたくて去るのではない。暴力と貧困に追い出されるのだ」とは、そんな移民のひとりが放った言葉。暴力といってもそれは耐えるとか耐えられないとか、そういうレベルではなく、一瞬で射殺されるレベル。ギャングや麻薬カルテルといった常識も情けも通用しない相手。昔は移民といえば内戦とか政情不安とかが
マックス・エルンストのコラージュが、他のシュルレアリストのコラージュと比べて突出しているのは、コラージュの制作過程がまったく違うから。 普通は画家の主観に基づいて幻想的なコラージュがつくられる。つまり「私」がつくっている。 ところがエルンストの場合は、コラージュの素材が「自ら結ばれあって」、それをエルンストが客観的に見ている。つまり、それは「わたし」がつくったのではなく、「何者」かがつくったもの。 そこでエルンストはそんな思いを発展させて、おもしろい考えに取り憑かれた。これま
読み応えがありましたねぇ、この本、「まさかの大統領/ハリー・S・トルーマンと世界を変えた四カ月」。 トルーマン大統領っていうと今でこそ有能な大統領だったっていう評価がある人だけれども、ルーズベルトが脳卒中で急死したことから、副大統領から繰り上げ式で大統領になったときには、国民の反応は「え? あの人、誰?」って感じだった。そもそもアメリカの副大統領なんて「世界一無駄な職業」と揶揄されるように、大統領選のサポートと上院議員の議長を務める以外は重要な仕事はひとつもなく、世間の関心
写真は火星探査機「キュリオシティ」が撮影した火星の夕陽。そう、火星から見た夕陽は青い。ということは、察しのよい方ならもうおわかりのように朝日もまた青い。その代わり日中の空の色は青空ではなくて赤味を帯びたクリーム色だ。 火星人。それは科学によってすでにありえない存在にされてしまったけれども、もしも彼らが実在したとしたならば、青い朝日や青い夕陽を美しいと思って、ボクらが地球でそうしているのと同じように、その手を休めてウットリと見つめていたことだろう。 朝。青くクールな朝日がしだい
トマ・ピケティが「21世紀の資本」で18世紀まで遡って膨大なデータを分析して「資本主義は自然発生的に格差を生み出し、それを広げ続けている」という“事実”を明らかにして、センセーションを起こしたのは、今から10年前。今ではそれが経済学者じゃなくても、多くの人が「どうも、資本主義のこの世の中の仕組みは行き詰まっているじゃないの?希望が持てないんだよなぁ」っていうことを肌で感じ取っている時代になっちゃった。いったいなにが起きているのか? それは長い長い時間をかけて、鍋の中の茹でガ
エドワード・ホッパー、『コンパートメントCカー』。 ホッパーが憧れた列車のイメージは、風景を一直線に横切っていく列車のイメージだった。永遠に変わらないような車窓のありふれた景色は暮れなずみ、やがて夜の闇に包まれようとしている。湿り気を帯びたような鉄のレールの上を一定のリズムを刻みながら重い鉄の車輪がすべるように走っていく。ほとんど空っぽに近い客車の中はすでに沈黙が支配し、ただ一人の女性を乗せて車両ナンバー293コンパートメントCがすべるように走っていく。風景を一直線に横切って
ジャック・デリダっていえば、今や現代思想における難解な哲学者の代表選手みたいになっていて、その著作は膨大。それを読むのは知的興奮に満ちた刺激でありながらも、かなりしんどくもある。 でも、それもそのはずでデリダは、デリダの伝家の宝刀である脱構築(ディコンストラクション)で現代を片っ端から読み替えているわけで、読み替えゆえにネタは無限にある。つまりゴールなんかないのだから。 そもそも、デリダの脱構築とはなんなのか? ざっくりといえば、ボクたち人類は言葉でモノを考え、言葉で社会を
2020年にノーベル物理学賞を受賞したロジャー・ペンローズは物理学界の超スーパースター。ノーベル物理学賞の対象となったのは彼のブラックホールに関する理論研究だったけれど、そもそもペンローズが主張しているのは、「人間の心の解明は人工知能研究なんかではできない。量子力学理論が完成しない限り人の心は解明できない」ということだった。あまりの論理の飛躍でほとんどトンデモ説と紙一重だけど、それを主張しているのが超が3つつくほどの天才科学者ペンローズなわけで、現代科学で最もセンセーショナル
坂本龍一の遺作となった「12」。4月に予約して、ようやく手元に届く。教授が最後の闘病生活の中で日記を書くように音のスケッチを録音したものから12のスケッチを収録。なにも施さずあえてそのままを提示したとのこと。そこに、なにかをつくろうという意識もなく、ただ「音」を浴びたかった。そうすることで体と心のダメージが少しだけ癒やされる気がした。そんなことから何の気なしにはじめた音のスケッチ。 そんなアルバムなのだから、なにも考えず、それが教授のアルバムであるということさえも忘れて心を無