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私の不育症歴② 12週の「小さな出産」


※10年以上前のことなので、思い出しながら書いています。

1.2回目の妊娠


【2010年:29歳】 2回目の妊娠
1回目の流産後、2・3ヵ月は子宮を休めたほうが良いということで、お休みし、その数カ月後、再び妊娠することができました。
前回流産したものの、「不育症」というものを知ることもなく、「今度はきっと大丈夫」と、不安より妊娠の喜びの方が大きかったです。

流産手術でお世話になった市民病院に通院したかったのですが、仕事をしていたことから通うのが難しく、土曜日もやっていた近所でも評判の良い個人の産婦人科にしました。温かい雰囲気の病院で、すぐ気に入りました。

不安を抱え、ドキドキしながらも、「9週の壁」と言われる、心拍確認も無事できました。エコーで心臓がピクピク動いているのがとても不思議で、温かい気持ちになりました。


2.流産の予兆?からの流産

心拍確認ができ、母子手帳には「妊娠中の経過」欄に、1回目の検診が記載され、順調なスタートでした。

しかし、検診の4日後、理由は覚えていないのですが、気になることがあったのか、再度受診しているエコー写真がありました。
この時は心拍確認はできていましたが、胎児の大きさが変わっておらず、不安を感じたのは覚えています。予兆だったのかもしれません。


その約2週間後、会社で軽い出血がありました。
一緒に仕事をしていた先輩ワーママ(妊娠報告済)に事情を話したら、「私も出血したことあるけど、大丈夫だったよ」と言われ、不安を抱えつつ、祈りながら急いで病院に行きましたが、残念ながら心拍が止まっていました。


その時点で14週くらいでしたが、赤ちゃんのサイズが前回から変化がないことから、12週の頃で心拍が止まったのだろう、と12週での流産となりました。
一般的に心拍確認できると流産率がぐっと下がるといわれていますが、また、突然、地獄に突き落とされた感覚になりました。

「母体のためにはなるべく早く処置した方が良いけど、気持ちもあるだろうから」と少し待ってくれ、2日後に入院することを決めました。


突然の腹痛や大量出血にならないか、不安を覚えながら、確か仕事にも行ってた気がします。今思えば何しているのか・・・という感じです。
お腹に赤ちゃんがいるけど、もう生きていない、ということに目を背け、現実逃避している感覚もありました。

でも、時間がじわじわと現実を感じさせ、もうすぐお腹からいなくなってしまう寂しさ、悲しさが急に押し寄せてきました。

なんでまた自分なのだろう、沢山泣きました。
でも今しかお腹にいさせてあげれないと思い「お腹にきてくれてありがとう」とお風呂や寝る前に話しかけていたことを覚えています。


3.小さな、小さな赤ちゃんが生まれた


12週過ぎると流産手術はできません。
お産と同じ流れで、「出産」をするのです。

何事もない出産であれば、陣痛がきて、子宮口が開いていきますが、流産の場合はそれがありません。
入院後、まずやらないとならないのは、しっかり閉じている子宮口を広げることです。
前回と同じ、ラミナリアを入れ、陣痛促進剤を投与し、破水させ、痛みと戦わなくてはいけません。


亡くなった子を産まないといけない


ただでさえ悲しいお産に痛みを強いるのは・・・と病院側が配慮くださり、「赤ちゃん出るときは麻酔を使うね」と、痛みのピークは眠らせてくれ、負担を少なくしてくれました。


2010年12月4日 9cm 105g 

手の平にのる、小さな小さな男の子赤ちゃん

とてもかわいかったです


看護師さんが、小さな可愛い箱の中に入れて、病室に連れてきてくれました。
夫と2人、手の平にのる、小さな息子を指で沢山なでてあげました。
顔、瞼、耳、手足、指もちゃんとできていて、たった105gですが、生命の偉大さ、しっかりとした重みを感じました。本当に可愛かったです。
写真に残したかったのですが、夫の反対もあり、私が息子の絵をかき、今も部屋で飾っています。


12週を過ぎると後期流産と位置付けられ、「死産届」の提出、「火葬」が必要になります。

○妊娠12 週以降の後期流産(死産)では,死産届書,死産証書及び死胎検案書に関する省令第12 条に基づき,死産証書を作成する(図12).(患者が死産届・死産証書とともに死胎(埋)火葬許可証申請書を市町村役場に提出すると,死胎火葬許可証が発行される.)
引用:日本産婦人科学会より 


死産届、火葬については書類を書いただけで、後は病院が提携している葬儀屋さんが引き継いでくださり、後ほど共同供養となるお寺を紹介してもらいました。

火葬について、自分で見送れば良かったのかも、と少し後悔しています。
しかし、当時の心情・体調・夫の気持ちもふまえると、あの時はあの選択しかできませんでした。
小さすぎて骨は残らない可能性も高い、と言われたと思います。

死産届、火葬がいる一方で、出生届は出せない=戸籍には残せない、という残酷な現実もあります。


今も定期的に共同供養をしていただいているお寺にお参りに行きます。
沢山の赤ちゃんが眠っています。


4.休むことは大切。でも流産を知られるのが怖い

妊娠4か月以降(85日以上)の流産・死産は、労働基準法上「産休」が義務付けられていますが、私は2週間ほど病欠でした。
記憶がうろ覚えで不確かですが、私は12週相当の流産となったため、ギリギリ産休対象ではなかったようです。

ただ、今思えば、産休対象だったのかもしれません。
これについて10年も前であり、議論したり追及するつもりは全くありません。

個人的には2週間の病欠で良かったと思っています。
なぜなら、まだお腹も出ていない、妊娠4ヶ月、職場で妊娠を知っている人は極わずかであり、産休=長期休暇になることで、流産の事実を知られたくなかったからです。

隠したくないのに、隠さないといけない気がする


他の記事に、日本は流産、死産がタブー視されている傾向があると書いたことがあります。なぜか「話してはいけない」「聞いてはいけない」というものです。


伝えたことで傷つく言葉を言われたり、興味本位で根掘り葉掘り聞いてくる人もいます。
相手を気まずくさせ、かえって負担をかけてしまう場合もあります。
そういったものを受け止める余裕は当然なく、亡くなった子に申し訳ないと思いつつ、できるだけ隠したい。私はそう感じていました。

出産を終えた今でさえ、「流産」「死産」ということを人に打ち明けるのはとても勇気がいります。
それが、流産・死産直後なら、なおさらです。



お腹にいた子を亡くす辛さは、どの週数であっても辛いものです。
もちろん「産休」は心身の回復には必要ですし、取るべきものです。
産休にならない12週未満での流産でも、少し休む期間は必要だと思います。

ただ、私のように「話したくても話せない」「話してはいけない気がする」「知ってほしいけど話すのが怖い」と感じている方も多いのではないかと感じています。


妊娠したら、出産できるのは当たり前ではない


それだけお産は何があるかわからない



このことを多くの人に知っていただくことで、流産・死産経験者は、身体はもちろんのこと、本当の意味で心を休ませることができるのではないか、と思います。



最後の検診の時のエコー写真です。
我が家では「お兄ちゃん」「にぃにぃ」と呼ばれています。


****Kao****

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