見出し画像

幻とコンソメスープ|連載「記憶を食む」第10回|僕のマリ

思い出すことのかたわらにはいつも、食べものがあった。
大切な記憶も、ちょっとした記憶も、食むように紡いでいく。気鋭の文筆家・僕のマリによるはじめての食エッセイ連載。
第10回は、著者の大好きな「喫茶店」の話。好きなお店もたくさんあるけれど、不穏なお店もあって……

 近所にある古ぼけた喫茶店は、朝八時頃にオープンして正午には店じまいしている。歩いて三分もかからない場所にあるのに、その営業時間の短さのせいでまだ一度も行けていない。朝起きるのが遅めだから……というのは言い訳で、近場の喫茶店に行くくらいなんてことはないはずなのに、なんとなく行けないままでいる。小さなお店でネットにもほぼ情報はなく、高齢の男性がひとりでやっていること以外は何ひとつわからない。中もよく見えないので、いつもお客さんは入っているのか、メニューに何があるかもわからない。おそらく、コーヒーと紅茶くらいしかないんじゃないかと勝手に思っている。通りがかるたびに「行かなくちゃ」と思うが、結局何年も行っていない。外装やお店の佇まいが好みなこと以外は行く決め手がなくて、それでも「行かなくちゃ」と気になっているのは、より多くの喫茶店に行っておきたいという思いがあるからだ。

 いわゆるカフェも好きで、チェーン店も好きで、それでも個人経営の喫茶店に自然と足が向くのは、自分が長い間喫茶店で働いていたからだろうか?コーヒーを淹れる香りや建築や内装、そしてそこで流れる時間や空気。働いている人やお客さんの表情。「一服しにくる」という日常の余白を楽しむ人たちの放つ雰囲気が、わたしはただただ好きなのだった。ただ、コレクション的に色んな喫茶店に行っていると、好きなお店もあれば、そうでないお店も当然たくさんある。注文したサンドイッチのパンが腐っていて酸っぱかったり、水気の多いナポリタンが出てきたり、お店のおばちゃんの身の上話を一時間半も聞かされたこともあった。でも、そういう「ハズレ」は、思い返すたびに笑ってしまうので、行ったこと自体は後悔していない。

 旅行で関東のある動物園に行った帰り、近くの喫茶店に向かった。旅行先ではグーグルマップで「喫茶店」と検索して、ヒットしたなかから好みのお店を選んで行くのが通例である。喫茶店でいえばわたしは、ほどよく古くて、植物が置いてあって、食器がかわいいところが好きだ。もっとわがままを言えば、アイスウィンナーコーヒーがあって、生クリームは出来合いのではなくてお店で立てたもの、手作りのケーキが四種類くらいあると尚良い。そして看板犬や猫がいたら……。しかし、自分が想像する良い喫茶店とかけ離れていても好きになることだって多い。例えば、店内の壁が掛け時計でびっしり埋まっているけれど妙に落ち着くお店や、タバコの煙で服がくさくなるけれど窓から差し込む光が綺麗なお店……とらえきれない表情を、人は「味」と呼ぶのではないだろうか。

 話が脱線したが、その喫茶店は外装が植物まみれで、なかなか古そうなうえ、ただの喫茶店にしては珍しいほど漫画が置いてあった。三千冊以上は優にあるように見え、この漫画を読み切るには何年通えばいいんだろうなあと思案したほどだ。席はテーブルが五つとカウンターが三席の小さな作りで、わたしと夫は暖炉の近くの席に座った。十一月でなかなか肌寒く、ぱちぱちと燃える暖炉があるというだけで、かなりうれしかった。小腹が空いていたのでピザトーストを注文して、食べる。コンソメスープもついていて、冷えた身体にはありがたかった。照明も落ち着くオレンジ色で、常連さんと仲よさそうに話すマスターも優しそうで、いいお店だなと思った。まったりしながらこのあとの予定を相談して、お手洗いを借りたいと申し出るとかなり奥まったところを案内された。外から見るぶんにはよくわからなかったが、かなり横に広い作りの建物らしい。古い家を増築して繋げたようで、客席からかなり歩いたところにお手洗いがあった。そこにつくまで、温室のような植物がたくさん並んだ部屋も見かけたし、なんと卓球場もあった。ちょっと変わっているのが面白くて、夫に話すと彼もお手洗いを借りに立った。お会計のときに夫が「植物の部屋見て良いですか?」とマスターに聞くと、にこやかに「全然いいですよ」というので遠慮なく見せてもらう。すでに夕方だったので電気がついていても少し暗かった。花や植物や木がたくさん飾ってあって、少し臭いのは動物園が近いから糞を肥料にしてるのかね、なんて話していたらなんだか視線を感じた。

 はっとして振り向くと、ケージの中の猫と目が合った。一匹や二匹ではない。ひとつのケージに五匹くらい入っていて、それが何段か重ねてあったので、何十匹という猫が無言でわたしたちのことを見ていた。いくつもの黄色や緑の目が、暗い空間でぎらりと光っている。わたしは息が止まりそうになった。道で出会った猫はすべて撫でたいくらい猫好きな夫も、あまりの恐怖に直立していた。ついさっきまで動物園でたくさんの動物を見て、キリンに餌をあげたり、ゾウの放尿に感心したり、馬の頭を撫でて写真を撮ったりしていたけれど、ケージにぎっしり詰まった無言の猫を見ると血の気が引いた。かわいいと思う余地など全くなかった。こんなに何十匹もいるのに、少しの鳴き声も漏らさないのがまた恐ろしくて、わたしたちは足早にお店を出た。店主の顔はまともに見ることができず、自分たちの車に乗ってその店から離れたとき、生きて帰ってこられて本当によかったと震えた。猫のことを知らないまま飲んだコンソメスープの味を思い出し、恐怖で吐きそうになった。 

 あとからネットで調べてもこの喫茶店のことについては詳しくわからなかった。店主の年齢や周辺の寂れた雰囲気から想像すると、次に行くことがあってもお店はないかもしれない。実際に、個人経営の喫茶店はどんどん閉店して、一度きりしか行けなかったことも多い。もう行けないと思うとあの温室と無数の猫は幻だったのか?という気もしてくるが、コンソメスープやピザトーストの写真は確かにスマートフォンに残っている。いっそ無邪気に「猫がいっぱいいるんですねー!」と聞けたら良かったが、そのレベルに至るにはまだまだ未熟なわたしたちだった。不気味で恐ろしくて、でももしかしたら、素敵なお店に行ったときよりずっと、このことを覚えているかもしれない。

僕のマリ
1992年福岡県生まれ。著書に『常識のない喫茶店』『書きたい生活』(ともに柏書房)『いかれた慕情』(百万年書房)など。自費出版の日記集も作っている。

次回は6月7日頃の更新です。
隔週金曜日に更新予定です。

過去記事は以下のマガジンにまとめています。


いいなと思ったら応援しよう!