みんなで作る本屋。みんなで作るコワーキング。:今日のアウトテイク#217(2024-06-22)
<アウトテイク>
・SNSに投稿する前の推敲(もしくは配慮)なしのメモ、殴り書き
・ブログ記事として仕上げる前の思索の断片、または下書き
・一部、筆が乗ってきて文字数多いのもあり〼
・たまに過去に書いたネタを展開する場合も
・コワーキング関連のネタが多め
・要するに「伊藤の現在地点」
※久々に長文です。
#今日のBGM
#今日のコトバ
#みんなで作る本屋。みんなで作るコワーキング。
またしても本屋ネタで恐縮だが、中国地方の人口3万3600人の過疎地に新しく書店が誕生した話。この過程がローカルコワーキング立ち上げの参考になるので共有しておきます。
まず、ちと長いがこれを一読あれ。
ところは、広島県庄原市。(あ、そういえば、5月に尾道のあるイベントでここの市会議員さんとお会いしたんだった。この話は聞けなかったけれど)
そんな、今の日本のどこにでもありそうなローカルの元コンビニエンスストアだった80坪の空き店舗に書店がオープンした。それを、「この町に本屋ができるなんて」と、何人もの人が胸を震わせ泣いている、というのだから気になるでしょ。蛇足ですが、この「元コンビニエンスストア」というのもヒントの一つね。
ポイントは、「棚入れ」のイベントに市民が参加した、というところ。
つまり、これからオープンしようとしている店作りをお客さんである市民が手伝った、ということ。←ここ大事なところ。
で、そこを踏まえて、続いてこれ。その新しい書店「ほなび」さんに兵庫県明石市の出版社ライツ社が取材した記事。そのみんなでやった「棚入れ」の様子もよく判るし、ここで、代表の佐藤さんの生の声が聞ける(読める)。
ここから、コワーキングにも通用すると思われる発言をいくつか抜粋すると、まずここ(※太字は伊藤)。
まずここで、地域の人たちが「自分ごと」と考えるには、自らそれにコミットする、できるプロジェクトであることが必須。言い換えると、サービスを提供する側と利用する側が対立(VS)するのではなくて、協働(WITH)する関係になること。ぼくがいつも使う言葉で言えば、「客」ではなくて「仲間」になる、する。
そのためには、「私(たち)はこうあるべきだと考えている」という宣言が必要だ。自らの世界観や価値観を詳らかにすること、誰でもいいのではなくて、そこに共感する人(=同志)を集めること、そうしてはじめて「自分ごと」と感じた人が手を貸してくれる。佐藤さんも「この街にも書店が必要だ、なぜならば」と訴えることで150人もの人たちが協力してくれたはず。
これ、本屋に限らずコワーキングも同じ。昨日も書いたけれど、
ぼくがなぜこういう話をよく書いたり話したりするかというと、必要とする人たちが自分たちのために自分たちでコワーキングを起ち上げ、運営する、というのがこれから当たり前になる、というか、当たり前にしたいと思っているからだ。
つまり、不動産ビジネスとして利用者を客として遇するのではなくて、自分たちが自分たちのために運営する、いわば自治運営とでも言うべき形式。
かく言うぼくも、14年前、自分が必要だったからはじめた。その頃、毎月やっていた勉強会のメンバーが「いつでも皆の集まれる場所を作ってくれないか」と言ってきた。どうしたものかと、ネットをウロウロしていて、アメリカのシアトルのコワーキングのサイトにぶち当たった。あ、これか、と。
当時からひとりカンパニー(個人事業者)として、仕事をこなすためには仲間が必要で、案件ごとにそれに相応しい人材とコラボを組んで仕事をしていたが、共用できるワークスペースがあったら何かと便利だし、そこで勉強会もすればパーティもする、そこにまた新しいワーカーが集まってくる、そんな環境があれば、よりコラボとしてチームとしてタイトになるだろう、それがワーキングコミュニティとしてパワーを持てば、受託もしやすいし、仕事のレベルも上がる、と考えた。で、はじめたのがカフーツ。2010年の5月だった。
結局、そのカツドウが結果としてローカル経済にわずかずつでも貢献する、ということに気づいたのはずっとあと、2016年からのコワーキングツアーで全国各地のコワーキングを訪ねたからだった。で、できたのが「コワーキング曼荼羅」の図。実はコワーキングには仕事に限らないたくさんのテーマがあったのだ。目からウロコだった。
そういうコワーキングの可能性に気づくまでに、たくさん失敗したし大いに遠回りをした。2010年当時、Coworkingなんてものを知ってるのは他に誰もいなかったから仕方ないけれども、せめてあとふたり運営に関わってくれる人がいてくれたらどうだっただろう、と今でも時々思う。ま、今は、間借りコワーキングで手伝ってもらってるからいいんですが。
ローカルコワーキングは、まずコアになるメンバーが意見を出し合って理想とするコワーキングを構想、共創したほうがいい。資金調達や場所の選定など解決すべき課題はたくさんあるが、それはあとにして、まずは発案者が自分の目指すことを言語化して、その理想に共感してくれる人を集めること。この「ほなび」の佐藤さんのように。←ここが大事だと思う。
先を続けよう。次に、ここ。
このへんもコワーキングにも言えること。
コワーキングがそれなりの形になりそこならではの運営スタイルができるまでに最低半年、普通でも1年はかかる。マニュアルがあるからそれ見といてね、みたいな簡単な話ではない。
なにしろ、相手にするのがコミュニティという生き物だから、日によって全然違うオペレーションが求められる。コワーキングをただのハコだと考えている人は、ここを決定的に勘違いしているけれど、相手はハコでじゃなくてヒトだから。
しかも、ここ大事だが、佐藤さんも言うように「地域のお客さんの声とともに変わっていく」、つまりついに「完成する」ということがない。コワーキングというコミュニティに参加するコワーカーの属性やニーズやあるいは課題によって、それこそ「変幻自在」に姿を変える。それが生き物たる所以だ。
で、コワーキングの「開業・運営」に絡んでヒントが3つあった。ひとつはここ。
家賃が下がるかどうかは別として(下がったから実現したんだが)、土地の名士が地域のために一肌脱ぐということは、昔からよくある話だ。地方の町で重要文化財的不動産を「よかったら、ここ、コワーキングに使う?」と声をかけられることも、実際に起っている。あるいは、ワーケーションの宿泊施設として提供されたりしている。
この方々はビジネス目的で算盤はじいて申し出てくれるのでは決してない。「自分たちのまちのためになるのなら協力したい」という地元愛から発せられる純粋なチャリティ精神がそうさせる。
こういう立場にある人とコラボできると話は早いし、地域の理解も得やすい。そしてこれもまたコワーキングの5大価値にある協働、共創のひとつ。それが引いては地域のサステナビリティにつながる。
それとここ。
サービスを分解して町全体に配置する、ということ。これは、例の町全体を宿にする「アルベルゴ・ディフーゾ」の考えに通じる。
この「まちやど」という仕組みについてはここに書いてる。
これをコワーキングに置き換えて、町全体でこの夏にやっているのがシカゴ。
つまり、コワーキングがそのまちを構成する不可欠な重要なパーツ、ピースとなっているということ。この考え方も、これから各地で起こるんじゃないか、というか、起こしたい、と思ってる。
最後にここ。
これはオモシロイなぁ。これを一日料金とか月契約とかではなくて年会費としてるのは、ある意味、寄付じゃないかと思うのだが、「あまり利用はしないけれども、なくなると寂しいし困るから、応援の意味で払うよ」という人がいるというのは心強い。
で、こういう人は、案外おられる。クラウドファンディングでも、心意気に共感して寄付する人は結構多いが、それに似ている。こういう発想をコワーキングにどう組み入れるか、考えてみてもいいんじゃないかと思う。
いかん、調子に乗って長くなりすぎたので、そろそろ終わろう。「みんなで作るコワーキング」というテーマは、これからも書いていく。
しかし、ここの店長になった人を採用した話はいいですね。こんなに熱意を持って働きたいという人がいるということに感激してたら、店舗の内装をしたのがその方のおじいさんだったなんて。話が出来すぎてるね。
結局、世の中って縁でできてる、てことね。
ということで、今日はこのへんで。
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