見出し画像

「やらない」という選択肢を無くさないと、物事は進みません

人というのは出来ない言い訳とやらない理由を探すのが上手いです。その言い訳の三大言葉として、「人がいない」「時間がない」「やる暇がない」というのが挙げられるのではないでしょうか。正直私自身もよく使ってしまう言葉です。この理由をよく使うのって、

 

 

この言葉を使ってしまえば、全てが逃げられるという勘違いを起こしてしまっているからではないのかなと思います。

 

 

私も使ってしまう言葉ですので、この言葉を使う意味は分かっているのですが、この言葉を使っても逃げられないということも頭の中では分かってきておりますので、この言葉を使えないような対策を立てていかなければならない訳です。そこで私が考えた苦肉の策は、

 

「やらない」という選択肢を無くすということです。

 

 

基本的に何か言い訳を作る時に、結果的に「やらない」ということを正当化するような言い訳しか出てこない訳です。ということは「やらない」という選択肢を無くしてしまえば、どんな状況でもとりあえずやってみるということしか残りません。

それが良いとか悪いとかではないんですけど、自分の中で様々考えてみると、

 

「やらない」という言葉は、可能性をと出してしまうのではないのかなと思っています。

 

 

上手く行くか上手く行かないかは、全て可能性の問題です。確率論の問題で、その方法が上手く行くか行かないのかは分からない話です。ですが、やらない選択肢を取ってしまっては、結局は失敗はないですけど、進歩はゼロです。成果がゼロであるとするなら、マイナスになってしまった方が私は良いと思います。なぜなら、

 

前進しようが後退しようが、進んでいる方がマシと考えるからです。

 

 

物事が進まないということが、私は一番嫌いです。今日よりも明日。明日よりも明後日と、進んでいる方が良いです。それは前に進んでいなくてもいいんです。上手く行かなくて後ろに下がってもいいんです。前に進んだら、その進み方に合わせて進めばいいし、後ろに下がったら、下がった分勢いをつけてスピードを速めてやればいいんです。これはもう私の性格の問題なんでしょうが、

 

何も進んでないというのは、悔しくて仕方がないんです。

 

もちろんやった結果で何も進んでないというケースもあります。しかしその結果は自分で説明が出来ます。ですが何もやってないということを説明するには、答えはたった一つで、

 

やってないからという理由だけなんです。

 

 

時間がない」とか「人がいない」とかが理由ではないのかという人もいるかもしれませんが、「時間がない」や「人がいない」というのは事象であって、事象は理由にはならないと私は思っています。だとするならば人に説明できる正当な理由を作らなければいけません。なので私は、

 

「やらない」という選択肢を無くしました。

 

 

その選択は、正直しんどいですが、そのしんどいという気持ちを持てるというのが、最近大事なんではないのかなと思っています。

 

いいなと思ったら応援しよう!

きれいごと
サポートしていただいたものは、全て天国に旅立った愛犬(怪獣)のお供物に使わさせていただきます。

この記事が参加している募集