「なりたい」と思うよりも大切なこと
今の状況から脱却したいと考えた時に、人は「何かになりたい」と強く願います。「偉くなりたい」「お金持ちになりたい」「この仕事に就きたい」など、「なりたい」「したい」という願望を抱いて、そこに向かって自分なりの努力をしていくのではないかと思います。しかしながらそういう願望を強く描いたとしても、
全ての人がその願望に辿り着く訳ではありません。
もしかしたら、その願望に辿り着くのはほんの少数で、多くの人が、願望を抱きつつも上手くは行かず、その願望をより強く願うか、想いを叶えた人に対して憧れを抱くか、間違った方向に進むと、妬みとして達成者を攻撃するなんて人も出てくるわけです。何か願望を持つ時に、人はある錯覚に陥ります。
誰よりも自分の想いが強いんだと。
誰よりも想いが強いのだから達成出来るであろう。誰よりも努力をしているから達成出来るであろうという、とんでもなく自分自身に甘い見積もりを立てているせいで、自分が進んできたアプローチに対して、「これで合ってるのか」と言う疑問を抱くことはないんです。現に願っていても叶わない人の多くが、
同じことをダラダラと続けている状態でしょう。
なぜ同じことをダラダラと続けてしまうのかを考えたことってないと思います。この現状こそがいつまでたっても変わっていかない要素なんです。上手く進んでいかない人というのは、ものすごく分かりやすい特徴を持っているんです。その特徴というのが、
「〇〇になるには、何をすれば良いのか」と考えてしまいます。
この状況になってしまうのは、仕方のないことで、いわゆるノウハウ本でも、「〇〇になるには」という風に書かれてしまってますから、当然に多くの人の考えるプロセスにも、このルートが大きく反映されてしまいます。なので「〇〇になるには」と考えると、〇〇をやって、次に〇〇をやってというように、自分がその行動が出来る出来ないは無視して、そのプロセス通りに進めようとする訳です。ここで大きな問題に気付かないといけません。
ノウハウ本と言うのは、出来ることが前提で書かれています。
もっと分かりやすく言うのなら、取り扱い説明書が分かりやすいですかね。取り扱い説明書と言うのは、その行為が出来る前提で書かれているので、それが出来ない人は確実につまづきます。ようは出来ないことが致命的になるわけです。この「〇〇になりたい」も同じことが言えます。出来てる人は意識的に考えませんが、大切なのって、
「〇〇になるには」と考えるよりも、「なぜ〇〇になれないのか」を考えることなんてす。
例えば、「お金を貯めたい」と考えた時に、とにかくお金を貯める方法を浮かべるでしょう。しかし「なぜお金が貯められないのか」と考えた時には、例えば浪費癖があるとか意志が弱いなどの原因が浮かぶはずです。では「お金を貯める」というゴールを考えた時に、
現状を考えもせずノウハウを実行するのと、原因を考えてそれを是正するのと、どちらが効果的でしょうか?
これが物事を達成出来ない大きな理由だと、私は考えます。
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