「言葉」の力に左右されない能力
最近わたしは、自分に特殊な能力があることに気がついた。
それは、「人をだまそうとしている」人に敏感であるということ。
人をだまそうとして近づいてくるひとには、警戒センサーが働くのである。
別の言い方をすると、「言葉」の力に左右されない能力とも言える。
なぜ自分にそんな能力があるかもと思ったか。
それは、フレンチの巨匠、「コートドール」のシェフ斉須政雄さんの著書「調理場という戦場」に書かれていた以下の部分を読み、まさにあの時に自分と同じだと思ったから。
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パリから40キロ離れた郊外に、言葉も使えずにいる。
毎日夜が明ける前から、翌日の仕事の直前まで働く。
あとは眠るだけ・・・。
人買いに買われたような気さえしたのです。
どこで誰を信頼していいかを、知りたいと思いました。
何を言っているのかわからないから、わが身を託していい相手を、その素振りや顔色のトーンで判断して賭ける必要がある。そういう判断力は研ぎ澄まされたかもしれません。
人がウソを言う時の雰囲気はわかるようになった。それがわからないと、自分はそのレストランでは生きていけないから。
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わたしが最初にモスクワで働き始めたのは、1997年、27歳の時。
ソビエト崩壊の混乱がまだ色濃く残っていた時期。
自分たちが生き延びるために、人をだます、モノを盗むのが当たりまえの社会だった頃。
そんなカオスな世界に、「ハラショー」と「ボルシチ」と「ピロシキ」と「マトリョーシカ」くらいしかロシア語を知らない、社会もろくにしらない若造が乗り込んだのである。
言葉が通じない人、しかも、誰が味方で誰が敵か、自分をだますのではないかという人たちと、24時間毎日仕事をするというのは、まあ恐ろしいものである。
だが、もちろん世の中には悪いやつばかりではない。
ロシア語が使いこなせず、ろくに感謝の言葉も伝えられない若造にも、笑顔や身振り手振りで助けてくれる人がいたのだから。
だからこそ、ロシアという異国で8年も働くことができたのだ。
こんな経験を経てきたからこそ、「言葉」の力に左右されることなく、その人の言葉の裏側を見るという特殊能力が生まれたのだろう。
「言葉」が通じないと、「言葉」以外の部分に通じるものを探すものなのだ。
日本でも、その能力は発揮されていると思う。
まあこの世の中、口のうまいやつがいるものである。
滑らかなセリフで人をだますやつがいる。
言葉巧みに、人の心に入り込んでくるやつがいる。
「日本人」は「日本語」にだまされやすい。
矛盾しているようだが、それが「言葉」の力なのだろう。
ロシアでの日々は地獄のようだったけど、こんな能力を授けてくれたことには感謝する。
なぜなら今、わたしは「人」にとても恵まれているのだから。