コロナ騒動で、世界がざわざわしている。 人々の不安が、混乱が、空気を重くしている。 そんな今のような空気を、わたしはなんとなく1997年当時のロシアと重ね合わせている。 わたしがロシアで働き始めた年だ。 1997年のロシア。 1991年にソビエト連邦が崩壊し、まだまだ混乱の真っ最中だった。 理想をかかげ、民衆が革命を起こしてできた国、ソビエト連邦。 彼らが理想とした計画経済のその先には、明るい未来が待っているはずであった。 しかし、その壮大な実験国家はあっけなく崩壊し
なぜ、自分は「旅」をするのか? なぜ、自分は「旅」が好きなのか? こんなふわっとしたテーマで、今回は書いてみる。 ======= 自分にとっての「旅」は、「自由」というキーワードと強く結びついている。 「自由」のシンボルが「旅」であるともいえる。 自分の旅ブログ「Trip-Nomad」では、こんなサブタイトルをつけている。 「好きな時に好きな場所で好きなことをしよう!」 https://trip-nomad.com/ わかりやすい「自由」のイメージ。 解放感をま
最近わたしは、自分に特殊な能力があることに気がついた。 それは、「人をだまそうとしている」人に敏感であるということ。 人をだまそうとして近づいてくるひとには、警戒センサーが働くのである。 別の言い方をすると、「言葉」の力に左右されない能力とも言える。 なぜ自分にそんな能力があるかもと思ったか。 それは、フレンチの巨匠、「コートドール」のシェフ斉須政雄さんの著書「調理場という戦場」に書かれていた以下の部分を読み、まさにあの時に自分と同じだと思ったから。 =======
昨日「ウド」の料理を作って、フェイスブックとインスタにアップした。 そのときに、感じて書いたことが以下。 ======= まあ、普通にうまい(^-^) けど、別にウドでなくてよいものになってしまった。 キャラメリゼの味が強すぎて、ウドのよさが消えてしまった。 ウドはもう少し繊細な調味で、素材を生かしたほうがいいね。 ======= この投稿をしたあと、何やらモヤモヤが続いていた。 「このモヤモヤはなんだろう?」ということに対して、勝手に脳みそが自動操縦していたのだろ
今日は、元奥さんと25年ぶりくらいに「お茶ノ水 小川軒」へ。 なぜなら、私たち元夫婦の人生を変えるきっかけを与えてくれた人が急死したから。 なので、その人とのゆかりのお店でご飯を食べようということで。 私の人生で最大のターニングポイントは、27歳のときにロシアへ働きに行ったこと。 その急死した人は、そのきっかけをくれた人。 この人がいなければ、わたしはそのまま日本でまったく別の人生を歩んでいただろう。 そんなわたしにとっての人生最大のチャンスをくれた人のことを、わたしは実
数日前、YouTubeを見ていた。 画面の横に表示される関連動画のところに、東日本震災の津波の動画が表示されていた。 何気なく見てしまった。 津波に飲み込まれていく街。 見た瞬間、ヘドロの臭いがわたしの記憶の中から湧き上がってきた。 記憶から湧き上がってきたヘドロの臭い。 この記憶を書き換えるために、宮城県の石巻へ行ってきました。 ============= 宮城県石巻市。 前回この場所に来たのは、2011年のこと。 そう、あの東日本大震災が起きた年である。 わたしはボ
男と女は「脳が違う」といったことをよく聞く。 女は「共感」 男は「問題解決」 女はかまってほしい、話を聞いてほしいだけなのだから、 男は、解決しよう、答えをだそうなんてしないようにって。 まあ、そういった思考のパターンはあるかもしれない。 そして、そういった知識を持っていた方が、まあ便利だろう。 でも、あえて言いたい。 男女脳の「違い」なんてクソくらえである。 大事なパートナーにこそ、そんな知識やテクニックは使いたくない。 大事なパートナーだからこそ、自分の正直
今年は、「1つに決める」ことをしない、 「曖昧に生きる」「1つに決めない」ことを意識しようかと思っている。 (あくまでも自分のスタイルとして。仕事は別) 「一つに決めない」を別の言い方をすると、 ・ゴールを決めない ・目標を決めない ・自分はこんな人間だと決めない といった言い方もできる。 つまり、一般的にはよいとされている「1つに決める」の逆を意識するということ。 「1つに決める」とはどういうことか。 例えば、「A」と「B」がある。 「1つに決める」ということは
ロシアを代表する食べ物に、ペリメニがある。 ロシア版の水餃子。 モスクワの日本食店で働いていたとき、餃子は人気メニュー。 毎日のように、スタッフのみんなと餃子を包んでいた。 ロシア人は、粉ものを扱うのがうまい。 麺でもパンでも粉からすぐに作り上げてしまう。 だから、ペリメニそっくりの餃子を作るのは、彼らにとっては朝飯前だった。 ただ、問題があった。 餃子を作ることは楽々とできるのだが、それを「焼く」という文化がないのだ。 彼らはペリメニというものは、茹でたり、スープに入れ
2018年、自分の中のテーマで「過去と向きあう」というものがあった。 過去を振り返らない、振り返りたくない。 「前」と「今」だけを見ていればいい。 そんな風に生きてきた。 でもそれは、単に思い込んでいただけなのかもしれない。 転職や離婚、会社経営・・・うまくいかないこと続きの人生の過去を見ないふりをしたかったのかもしれない。 今年は、過去と向き合い、受け止め、消化しないと前に進めないような気がした。 料理と向きあうことにしたのも、このやっかいな「過去と向きあう」という
昔、恵比寿に住んでいたことがある。 その家のそばにあった恵比寿ガーデンプレイスの地下に、ジョエル・ロブションのパンとケーキが買えるお店があった。 最初のロシアの仕事から戻り、無職だったときの頃。 (ロシアには2回職を変えて行っています) その時、荒みきっていた私の数少ない楽しみ。 それが、このお店のショーケースを覗くことだった。 そのショーケースのなかのケーキ達は、どれも素晴らしく洗練されていて、芸術作品と思わせるような美しさだった。 そんな中でも、とりわけ心に残って
たまに聞かれるんですよね。 「どこの国を旅した時に、人生が変わりましたか?」って。 最近思うのです。 旅をしたということだけでは、人や人生なんて何も変わらないって。 きっかけにはなるけど。 ロシアに行くのも、ハワイに行くのも、大阪に行くのも、近所のサウナに行くのも。 その場所自体はただの場所でしかない。 もし、旅をすることで人生への変化を期待するのであれば、期待をするポイントは「場所」ではない。 重要なのは、旅をした後。 旅をした後に、どう行動するか。 どういう時間