グレープフルーツ・ジュース
世界情勢と評論、人間関係と浮世話、人の夢と熱弁。そういったあらゆる人間を惹きつける物質が宙に舞う世の中で、幸いにも、私はそれらのことに全く興味がない。正直、他人の人生の話を聞かされてもどう思えばいいのかわからないし、友達が人の噂話をしてくるのを聞いて、よくそんな他人に興味をもてるもんだ、とずっと感心しながら学校生活を送ってきた。
ただ、文字を読むのが好きという理由だけで、新聞をつらつらと読んでいる。新聞を読んでるなんて意識高い系の学生じゃないか、なんて馬鹿なこと言わないでほしい。正直、新聞の内容なんてどうでもよくて、あの記者が書く文は好きだ、一方こちらは嫌いだ、と心の中で感想を述べているまでのことである。
もうお気づきだろうが、私は本が好きだ。
最近、ある本と再会を果たした。それは、オノ・ヨーコ著『グレープフルーツジュース』である。私が中学生の時に、音楽の先生であった非常勤講師のジジイの家でこの本と出会った。このジジイは、音楽の先生らしい気取った態度をしていなく、ザ・熱血教師で、歌う時は唾を飛ばしまくり、ピアノは強く叩けば叩くほどいいと良い、指揮は肩から指先まで伸ばして大きく振るのがかっこいいと語る、とんでもないやつである。まさしく女子が嫌いなタイプの先生であった。でも、そんな先生は真っ直ぐな音楽の心を私に教えてくれた。だから、私はブルーハーツや中島みゆき、フラワーカンパニーズが好きなのだろう。
少し脱線したが、そんなこんなで私にはこの本に思い入れがあり、それを差し引いてもこの本の内容は素晴らしい。1ページに多くても5行くらいの文しかないこの本には、心を救う魔法が詰まってる。自己啓発本といってしまえばそれまでなのかもしれないが、一般的な自己啓発本ではない。いかんせん、この本は時系列と実現可能性を度外視してしている。あの自己啓発本特有の、少しずつのステップを踏んで成長していこう、とか、私はこのようにして社会で成功しました、みたいな寒いノリを含んでいない。人はそんな簡単に変われるものではないし、あなたの成功が私の成功だなんて思わないでほしい。そんな、ひん曲がった私の心さえもこの本は包む。「なにか」を行う時、その「なにか」が有益か無益かなんてどうでもいいのではないか。最近の人は近道をしようとしすぎなのではないか。人々が生き急ぐ喧騒のなかで、私なりに感性をじっくり研ぎ澄ますことを許可してくれるのがこの本である。
疲れたので、私は月に匂いを送ることにする。
あの音楽教師に感謝の気持ちをこめて。
charlantan