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「愚」(二)~道家


老子の語る「愚」

『老子』には、「愚」字の用例が3カ所に見られる。

(一)「道」を悟らぬ愚人の「愚」

『老子』第三十八章に、次のようにある。

道を失いて而る後に徳あり。徳を失いて而る後に仁あり。
仁を失いて而る後に義あり。義を失いて而る後に礼あり。
れ礼なる者は、忠信の薄きにして、而して乱のはじめなり。
前識ぜんしきなる者は、道の華にして、而して愚の始めなり。

この章句は、あからさまな儒家批判である。

第十八章に見えるフレーズ「大道すたれて仁義有り」と同様の主旨であり、「仁」「義」「礼」「智」を唱える儒家を皮肉っぽく痛烈に批判している。

ここでの「愚」は、原義である「おろか」という貶義のまま用いている。
道家的な意味で「道」を悟らない儒家の徒を愚か者と呼んでいるのである。

(二)「道」を体得した聖人の「愚」

第二十章には、以下のような一節がある。

衆人は煕煕ききとして太牢たいろうくるが如く、春にうてなに登るが如し。我独りはくとして其の未だきざさざること、嬰児の未だわらわざるが如く、乗乗じょうじょうとして帰する所無きがごとし。
衆人は皆余り有り、而るに我独りとぼしきが若し。我は愚人の心なる哉、沌沌とんとんたり。俗人は昭昭しょうしょうたり、我独りくらきが若し。俗人は察察さつさつたり、我独り悶悶もんもんたり。こつとして海の若く、ひょうとして止まる所無きが若し。
衆人は皆もちうる有り、而るに我独りがんにしてに似たり。我独り人に異なりて、みちもちうるを貴ぶ。

ここの「愚人」は、第三十八章とは異なり、「衆人」や「俗人」と対峙するものであり、「道」を体得した「聖人」のことを言う。

儒家の学問・教育、ひいては文明そのものを否定する道家の価値基準において、「愚」は、そうした人為の文化的な毒素に染まらない状態を言うものであり、いまだ笑うことすら知らない嬰児のごとく、淳朴自然で根源的な人間の在り方を象徴する。

文中で「愚人」の心態を形容する「沌沌」は、分別のない混沌とした無知のさまをいう。

「衆人」「俗人」たちが「煕煕」として浮かれ楽しみ、「昭昭」「察察」として明るく機敏に振る舞うのとは対照的に、「愚人」は、「遺」(とぼしい)、「昏」(くらい)、「悶悶」(ぐずぐず)、「頑」(かたくな)、「鄙」(つたない)など、世俗の眼からすれば役に立たない無能者である。

しかしながら、そうした「愚」なる生き方こそが、「道」に順った人間本来の生き方であるというのが、老子の言わんとするところである。

この章句の「愚」字は、儒家が重んじる学問知識や礼教道徳を末梢的なものとして退ける老子の思想によって裏打ちされ、道家流のパラドックスを以て褒義で用いている。

(三)「無知無欲」の民衆の「愚」

第六十五章に、次のようにある。

いにしえの善く道をおさむる者は、以て民を明らかにするに非ず、まさに以て之を愚にせんとす。民の治め難きは、其の智多きを以てなり。故に智を以て国を治むるは国の賊なり、智を以て国を治めざるは国の福なり。

ここでの「愚」は、「愚にする」という動詞で用いている。民を無知で淳朴な状態に置くことを言う。

第二十章は「道」を体得した特別な存在である聖人の心態を語ったものであるが、老子は、民衆もまた同様の心態に至ることを理想としている。

「愚」を肯定するのは、第八十章の「小国寡民」に見えるような無知無欲の非文明的共同体を人間社会本来の在り方とする道家の政治理念に基づくものである。

荘子の語る「愚」

『荘子』には、計24個の「愚」字の用例がある。

大半は「おろか」を意味する貶義のものであるが、以下の例のように道家的価値観を以て褒義に用いられているものも見られる。

日月にならび、宇宙をはさみ、其の脗合ふんごうを為し、其の滑涽かつこんまかせ、れいを以て相い尊ぶ。衆人は役役えきえきたるも、聖人は愚芚ぐとんたり、万歳にまじわりて成純せいじゅんに一たり。万物ことごとく然り、而して是れを以て相いつつむ。(「斉物論」篇)

性修まれば徳にかえり、徳至れば初めに同ず。同ずれば乃ち虚、虚なれば乃ち大なり。喙鳴かいめいを合し、喙鳴合して、天地と合を為す。其の合は緡緡びんびんとして愚なるが若く昏なるが若し。是れを玄徳げんとくと謂い、大順たいじゅんに同ず。(「天地」篇)

南越なんえつゆう有り、名づけて建徳けんとくの国と為す。其の民愚にして朴たり、私少くして欲すくなし。作るを知りて蔵するを知らず、与えて其の報いを求めず。義のかなう所を知らず、礼のおこなう所を知らず。猖狂しょうきょう妄行もうこうし、乃ち大方たいほうむ。(「山木」篇)

「愚」字を以て聖人の心のぼんやりと取り留めのないさま、「道」の混沌たるさま、淳朴無知な民が「道」を踏み行って生きるさまを語っている。

いずれも、『老子』の第二十章、第六十五章に見える「愚」を踏襲し、さらに敷衍したものである。

列子の語る「愚」

『列子』「湯問」の中で、「愚公」と呼ばれる老人が登場する。

老人愚公が、往来の障碍となっている太行山たいこうさん王屋山おうおくさんの二山を他所へ動かそうと土を運び始める。その愚かさを智叟ちそうに嘲笑されても、愚公は一向に怯むことがなかった。すると、天帝がその誠意に感じ、愚公に代わって山を移し地を平らにした。

これを典拠とする四字成語「愚公移山」は、弛まぬ努力により困難を克服し大事業を完遂させることを意味する言葉として用いられている。

しかし、こうした教訓的な解釈は後世のものであり、この故事の本来の主旨ではない。

「愚公移山」は、元来、道家思想に基づいた寓話であり、話の主眼は「愚」と「智」の対立にある。

「愚公」の行為を冷笑する人物として「智叟」が登場するが、この二人について、晋・張湛ちょうたんは、それぞれ次のように注を付している。

俗に之を愚と謂う者は、未だ必ずしも智に非ざることなし。
俗に之を智と謂う者は、未だ必ずしも愚に非ざることなし。

つまり、世俗の言う「愚者」は実は「智者」であり、世俗の言う「智者」は却って「愚者」であるとしている。

「愚公」の行為は、常識では想定できない発想、時間を超越した遠大な構想を象徴するものである。

それを愚かとして冷笑する「智叟」は、道家的尺度の世界観を理解できない世俗の人間、もしくは、その世俗の既成の価値観を形成している儒家思想を指して言うものである。

まとめ

道家においては、儒家の唱える学問や智恵を否定する立場から、「愚」はしばしば褒義に解釈され、聖人の心を表し「道」を体現する概念として語られている。

中国の精神文化史における「愚」の一つの典型は、「愚に似て愚に非ず」という人物形象である。

こうした人物形象が好まれる背景には「大智如愚」(大智は愚なるが如し)という逆説的発想がある。

こうした発想は、『老子』第四十五章に「大直は屈するが若く、大巧は拙なるが若く、大弁はとつなるが若し」と見え、また『史記』「老子韓非列傳」に「君子は盛徳ありて、容貌は愚なるが若し」とあるように、中国では古くから馴染みのあるものである。

「愚」が自嘲から自負へ容易に反転するゆえんは、こうしたパラドックスを時として精神的な支えとしてきた中国古代の知識人の思考様式にある。

「愚」が世俗的な価値観と対峙する概念として位置付けられるゆえに、文人たちが反俗的な姿勢を誇示したり、世を達観した境地を言明したりする際、彼らは敢えて「愚」を以て自任したのである。


*本記事は、以下の記事の一部を簡略に改編したものである。


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