「狂」(一)~『論語』
「狂」
「狂」は、けものへんである。もともと噛み癖のある猛犬や、病理的に異常な狂犬のことを指した。これをヒトに当てはめて、精神錯乱の状態のことを言うようになった。
人が狂乱に陥ると、古代人はこれを「憑依」の現象と捉えた。シャーマンが恍惚の舞で狂乱状態になり、神霊が憑いたとして神託を告げるという事例は、世界の民俗に普く見られる。
さて、ここで取り上げる「狂」は、病理的な疾患や呪術的な乱舞のことではない。健常な人間の性格や挙動が尋常の域を超えている心態としての「狂」について、先秦から明清まで時代順に考察してみようと思う。
「狂」と「狷」
「狂」は、むろん良い意味ではない。元来は、人間性の欠陥として否定的に用いられる言葉である。ところが、『論語』の中では、決して悪いことではなく、むしろ良いこととして肯定的な意味で語られることがある。
「子路」篇で、孔子はこんな発言をしている。
「中行」(=中庸)を得た理想的な人間に出会えればよいが、出会えない場合に行動を共にすべき人間として、「狂狷」なる者を挙げている。
「狂」者は、進取の気性を持ち、人が躊躇してやらないようなことをあえて自ら進んでやる。積極性・自主性があり、志の高い情熱家である。
「狷」者は、節操が堅く、頑なで妥協せず、やってはいけない不正なことや曲がったことは決してやらない。自らの信念を守り通す頑固者である。
両者とも中庸の道からは程遠い変わり者であるが、主体性を以て行動できる人間であり、孔子が好んだタイプの人間であった。
「狂狷」と「郷原」
「狂狷」は、中庸に次ぐものとされる一方で、偽君子の「郷原」と対峙するものとして位置付けられている。
『論語』「陽貨」篇で、孔子はズバリこう語っている。
孔子は、「郷原」を徳を損なう者として唾棄した。「郷」は郷党のことを言い、「原」は「愿」に同じで、慎み深く真面目なさまを言う。
「郷原」とは、村の共同体における円満居士、保守的常識人である。村人に受けがよいが、その実、世俗と歩調を合わせているだけの偽善者である。
孟子は、孔子が「郷原」を「徳の賊」と呼んだ理由をこう語っている。
「郷原」は、これといった欠点がなく、非難する材料もなく、うまく流俗に迎合し、いかにも律儀で清廉潔白な人物であるかのように見える。
孔子や孟子からすれば、このような人間は主体性に欠け、自らの見識も原則もなく、体制に阿り諂う凡庸なモラリスト、言葉は立派でも中身のない似非君子である。
一方、「狂狷」は尽く「郷原」の裏返しである。円満な人格ではなく、常識を顧みず、世間の人々と調子を合わせることができない。
「狂狷」は、「中行」を得られない場合のセカンドベストであると同時に、「郷原」とは真逆の存在として高く評価されているのである。
「佯狂」
「佯狂」は、狂気を装うことを言う。「佯」は、詐る、欺くという意味であり、「佯狂」は、病理学的な狂気を持たない者が、あたかもそれを持つかのようなふりをすることである。
殷王朝の末、紂王の暴政下にあって、孔子が「三仁」と呼んだ微子・箕子・比干は、それぞれ異なる道を選んだ。
微子は、紂王の無道を諫めたが聞き入れられず国外へ亡命し、比干は、自らの命をかけて王を諫めて処刑された。
そして、箕子は、『史記』「宋微子世家」に、
とあるように、髪を振り乱して狂人を装い、自ら奴隷の身となった。のち、周の武王が殷を滅ぼすと、武王は箕子の学識を尊んで朝鮮に封じた。
箕子と並んで「佯狂」の系譜にある人物が、楚の接輿である。『論語』「微子」篇に、次のようなエピソードがある。
接輿は、世を避けて狂人の真似をしている隠者である。楚王からの出仕の要請を嫌い、妻と共に逃れて身を隠したと伝えられている。
ここで、接輿は、孔子の前で放歌しながら、乱世で政治に関わるのは危ないことだと諫めている。
「狂」を装って世を避けるという箕子や接輿の生き方は、乱世において身の安全を保つ「明哲保身」の処世術にほかならない。時勢に逆らわず、賢明に状況を判断して我が身を災禍から守るという生き方は、箕子や接輿のみならず、古来、政治に携わる者がしばしば選んだ道であった。
これは決して消極的な生き方ではなく、乱世にあって危うい時代を生き抜くために知識人たちが経験的に培ってきた知恵である。
「狂狷」と「佯狂」とでは、世俗との向き合い方が極めて対照的に表れる。「狂狷」は、自らを世俗の中に置きながら世俗の常識に反撥する「反俗」の姿勢である。これに対して、「佯狂」は、自らを世俗の外に置いて世俗との関わりを避けようとする「超俗」の姿勢である。
元来、「狂狷」と「佯狂」にはこうした明白な差異が認められるが、やがて両者は特に区別されることなく綯い交ぜとなり、一つの「狂」の精神として、文人が好んで自任するスタイルやポーズとなっていく。そして、思想・文学・芸術の各領域において、中国の伝統的精神文化の支柱の一つを形成するに至るのである。
*本記事は、過去に投稿した以下の記事を合併して簡略にしたものである。