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【北京追想】これが、老舎茶館?

30年ほど前、訪問研究員として北京大学に2年間滞在した。

1年目の秋、王府井の吉祥劇院で京劇を観た。
ちょうど劇場のサヨナラ公演だった。

その後しばらくして、この老舗の劇場は跡形もなく取り壊された。
その跡地には香港資本で巨大なショッピングセンターが建設された。

当時は、世界中が不景気の中、中国だけは威勢がよく、経済発展は目覚ましいものがあった。

国家が急成長する時には社会のバランスが狂うのが常で、得るものと同時に失うものも多い。とりわけ中国は、新しいものを産む過程で古いものを葬り去ろうとする傾向がある。

急激な経済発展のあおりで中国の伝統文化が消滅しつつあるという危機感を政府の一部の人々が抱き始めたようで、伝統文化の保護が国策の一つとして打ち出された。

テレビで伝統芸能の番組の占める割合が増えたのはその表れであり、観客が減って瀕死状態にあった昆劇などは、政府が資金や宣伝の面で積極的に支援していた。

もっとも、こうした伝統文化復興の企図は、伝統文化そのものに対する愛惜によるものというよりは、むしろ政治的目的によるものだった。

「中国特色的社会主義市場経済」を掲げる中国にとって、西側の資本主義と何ら変わるところのない社会の実態は、イデオロギー上、都合が悪い。伝統文化擁護の掛け声は、そうした政治的思惑の中から発せられたものだ。

いずれにしても、この国策は大学のカリキュラム にも反映されており、当時北京大学で設置された科目の中には、「伝統文化概論」「中国伝統哲学的現代意義」「伝統戯曲欣賞」など、「伝統」の2文字が目立った。

そうした中で、汪景寿教授の「中国伝統曲芸」という授業は一風変わっていた。毎週、プロの芸人を教室に招いて、自分の芸について解説させ、さらに実演させる。評書・快書・相声・鼓曲などの各ジャンルから人を呼び、時には、相声の馬季など超一流どころまで連れてきた。

キャンパスに居ながらにして伝統芸能にナマで触れることができるわけで、学生にはなかなかの好評だった。わたしも何度か聴講させていただいた。

その後、老舎茶館へ行ってみた。近代の著名な作家老舎にちなんで名付けた茶館で、客はお茶を飲みながら舞台の伝統芸能を観て楽しむ。

汪教授の授業の「復習」のつもりで足を運んだのだが、授業で得た予備知識から想像した風景とはだいぶ異なるものだった。

茶館の入場料は、舞台からの距離によって、当時で40元から130元までの差があり、出てくる茶菓にも差がつけてあった。芸人はマイクを使って演じ、ボュームがやけに大きい。舞台はカラフルで、照明が妙に明るい。観客は、西洋人や日本人らしき人たちばかりだった。

古めかしい落ち着いた昔ながらの情緒のある場所を想像していたわたしは、拍子抜けしてしまった。

出し物が全て終わって外へ出ると、北京では珍しい乞食の群れに囲まれた。
ここが昔の茶館のような庶民の憩いの場ではなく、金持ちや外人向けの観光名所であることを彼らは知っているのである。

胡同や四合院など昔からの路地や古風な建物もしだいに数が減っていった。
北京も世界の他の大都市と同様に、古き良き姿を着実に失いつつあった。

社会の物質的な変化に伴って、人々の心まで変わってしまったと指摘する人も少なくなかった。

北京でアメリカ人の Hellen さんと知り合った。面白い経歴を持った人で、 幼少期を中国と韓国で送り、大学は日本の聖心女子大学で美智子様と同級生だったという。当時は、再び中国にやってきて北京大学でコンピューターを教えていた。

「中国人はこんなはずじゃない」と Hellen さんは常々ぼやいていた。

彼女によれば、その当時の中国は、文化大革命の後遺症で人間関係が歪んだままの上に、急成長のひずみで人々が盲目的に自分の利ばかりを追っていて嘆かわしいと言う。

Hellen さんが子どもの頃住んでいた北京は、ちょうど映画『城南旧事』のようだったに違いない。古き良き時代を知っている Hellen さんにはギャップが大きすぎた。

90年代の当時は、文革の狂気が終息したのも束の間、いきなり改革開放政策が始まって十数年の月日が経った頃だった。働けば働くほど金が儲かる世の中になった。それは中国の庶民が経験したことのないことであって、浮かれて夢中になって働くのは人情として当然のことだ。

あまりに速い社会の変化と発展に人の心が右往左往してしまい、齷齪と金銭本位で動く人が多かったのかもしれない。

幸いわたしが北京で接した人たちは、研究教育に携わる大学関係者が多く、金銭には無頓着な知識人ばかりだった。

日常生活の上では、教員宿舎の従業員の W 君、息子がお世話になった幼稚園の Z 先生、娘の通学で毎日送迎してくれた運転手の L 師傅など、中国人はみな本来は情に厚く篤実な民族に違いないと思わせる人たちばかりだった。

それでも、中国にしばらく暮らしていると、我々の尺度からは不可解なことも多い。公衆道徳の意識は低いと言わざるを得ないし、街に出れば騙されることにいつも警戒しなければならない。諸事にわたって「いい加減」なことや「あり得ない」ことが多かった。

そうしたことに一々眉を顰めていると、いくつ神経があっても足りない。

しかし、そのうちに眉を顰めること自体が馬鹿らしくなり、妙に住み心地が良くなってくる。いい加減なことは大らかなことに思えてくるし、あり得ないこともあり得るように思えてくる。

これはいったいどういう魔力なのだろう。
島国の人間にはわからない大陸の抱擁力なのかもしれない。



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