見出し画像

「癖」(二)~「オタク」列伝


『癖顚小史』

癖顚小史へきてんしょうし』は、明末の「癖」を称揚する思潮の中で生まれた書物である。

『癖顚小史』(ハーバード大学燕京図書館蔵)

(一)『癖顚小史』の編纂

『癖顚小史』の撰者は、華淑かしゅく(雅号は聞道人)、明末の商業出版に携わった文人である。

華淑の「癖顚史跋」には、次のような一節がある。

世を挙げて皆郷愿きょうげんなり。癖を集め顚を集むるは、誕にちかからずや、非なり。世は自ずから世の法、我は自ずから我が法なり。… 嗟乎ああ、癖は至性有り、人の損ないを受けず。顚は真色有り、世の法を被らず。顚は其れ古の狂か、癖は其れ古の狷か。狂ならず狷ならざれば、吾誰かともに帰らん。吾寧ろ癖顚たらんか。

ここでは、孔孟の言に見える「郷愿」「狂狷」を引き合いに出して、「顚」を「狂」に、「癖」を「狷」にそれぞれなぞらえている。

凡庸な世俗を超脱した「至性」有るもの、「真色」有るものとして、「癖」と「顚」を美化し正当化して、本書の価値を訴えた一文である。

「癖顚史跋」

本書には、出版界の有力者湯賓尹とうひんいの「小引」(前書き)が付されている。

凡そ人に偏好する所有らば、すなわち之を癖と謂う。癖のかたちは、痴のごとく狂の若く、手口耳目、以て自ずからたとうるべからず。… 士は癖無きをうれうるのみ。凡そ貴賤、窮通、得喪、毀誉、ややもすれば能く人意を駆遣くけんし、之とともに喜怒を為す者は、其の人皆胸中に癖無き者なり。

「癖」のさまは「狂」や「痴」の如くであり、世俗の常識で測ることのできない心態であると語っている。

「士は癖無きを患うるのみ」とあるフレーズは、「人は癖無かるべからず」「語言に味無く面目憎むべき人は皆癖無きの人のみ」「殊癖しゅへき有りて終身えざれば便ち是れ名士なり」など、前回の投稿で引いた袁宏道えんこうどうの一連の発言と主旨を同じくするものである。

「癖史小引」

(二)『癖顚小史』の本文と袁評

『癖顚小史』の本文は、歴代の「癖」にまつわる人物の逸話を集めている。今風に言えば「オタク列伝」みたいなものである。

以下に、目次の項目名及び各項目で取り上げられている人物名を全挙する。

「笑癖」(陸雲)、「左傳癖」(杜預)、「鍛癖」(嵆康)、「瘡痂癖」(劉邕)、「鵞癖」(王羲之)、「書癖」(劉峻・皇甫士安)、「乞癖」(羅友)、「錢癖」(和嶠)、「馬癖」(王済・支道林)、「驢鳴癖」(孫楚・王粲)、「酒癖」(劉伶)、「毦癖」(劉備)、「屐癖」(阮孚)、「山水癖」(宗少文)、「屐癖」(祖約・阮孚)、「潔癖」(宗炳之・王思微・何修之・王維・米芾・倪瓚)、「菊癖」(陶潜)、「晝睡癖」(王允良)、「古碑癖」(孫何)、「茶癖」(陸羽)、「妬癖」(李益)、「花癖」(張籍)、「羯鼓癖」(唐玄宗)、「木馬癖」(宋燕王)、「書畫癖」(米元章)、「石癖」(米元章)、「琵琶癖」(范徳孺)、「香癖」(劉季和・徐鉉)、「譽兒癖」(王福畤)、「奕癖」(李納・王積)、「法書癖」(鍾繇・張芝)、「哭癖」(唐衢)、「遊癖」(陶峴)、「芰癖」(屈到)、「談癖」(衛玠)、「竹癖」(王徽之)、「内癖」(荀粲)、「外癖」(王仲先)、「牛心灸癖」(王右軍)、「談鬼癖」(蘇子瞻)、「睡癖」(李巖老)、「煙霞癖」(田遊巖)、「茘枝癖」(楊太真)、「案牘癖」(沈文通)、「聲樂癖」(韓持国)、「蠟燭」(寇準)、「奇服癖」(翟耆年)、「梅癖」(林逋)、「詩癖」(簡文帝)

ここに挙げられた諸々の「癖」は、動植物・器物・食物などに対する異常な嗜好(例:「馬癖」「茶癖」「石癖」)、物事に対する極端な執着(例:「書癖」「錢癖」「詩癖」)、行為における病的な性癖や常習性(例:「哭癖」「潔癖」「妬癖」)など多種多様である。

巻頭第一篇の「笑癖」は、次のような話である。

陸雲りくうんは笑癖有り、兄とも張華ちょうかの知る所と為る。機、華に謁するに、華問う、「雲は何を以て来らず」と。機曰く、「雲は笑疾有り。公未だらざることを恐れ、故に未だ敢えて軽々しくいたらず」と。俄かにして雲至り、華ひげ多く、錦袋を以て之を盛るを見、拝するに及ばずして笑倒す。

晋の詩人陸雲の「笑疾」を語った逸話であるが、これは『晉書』「陸雲傳」の記載に基づいている。

第二篇以下も、杜預とよの「左傳癖」が『晉書』「杜預傳」に、簡文帝の「詩癖」が『梁書』「簡文帝紀」に、米芾べいふつの「潔癖」が『宋史』「米芾傳」に基づくというように、大半の話が正史から採られている。

また、王済おうさいの「馬癖」、嵆康けいこうの「鍛癖」、羅友らゆうの「乞癖」が、それぞれ『世説せせつ新語しんご』の「言語」「簡傲」「任誕」各篇に拠るというように、逸話集の類から引いているものも多い。

そして、すべての篇に対して、袁宏道の「評語」が付されている。

以下に、「癖」について見解を述べているものをいくつか挙げる。

「酒癖」(劉伶りゅうれい
袁評:古の酒人は一ならず、而して晋を甚だしと為す。晋の酒人は一ならず、而して伶を甚だしと為す。彼其れ一飲一斛、陶然自適、托する所有りて逃ぐるに非ざるなり。伯倫はくりんの如き者は、真に酒に全を得ると謂うべし。とうげん諸人は皆及ばざるなり。

「花癖」(張籍ちょうせき
袁評:愛妾を花に換うるは亦一韻事なり。詩人つねに美人を以て花に比し、花を美人に比す。此れ花を以て花に換うるも亦何ぞ怪しむに足らん。

「錢癖」(和嶠わきょう
袁評:嶠の銭癖も亦自ずから高韻有り。今の守銭者とは大いに径庭けいていなり。

「案牘癖」(沈文通しんぶんつう
袁評:癖は未だ雅ならずと雖も、亦自ずから韻を帯ぶ。今の一味の紗帽しゃぼう癖のごとからざるなり。

これらの「評語」の中で、袁宏道は繰り返し「韻」に言及している。
「癖」は「雅」とは言えずとも「韻」を帯びたものであるとして、「俗」との距離を意識した発言をしている。

明末の文人たちにとって、日常生活において然るべき「癖」を持つということは、一種の人生美学であり、またステータスシンボルでもあった。

高雅な「幽人韻士」の「癖」は、名利に汲々たる俗人の「癖」とは自ずと異なるものとされたのである。

(三)『癖顚小史』の文献的意義

『癖顚小史』は、明末の商業出版の隆盛に伴って生まれたものであり、これと編纂意図の似通った書物が同時代にいくつも刊行されている。

古今譚概ここんたんがい』の「癖嗜部」は、部分的に『癖顚小史』と話が重複している。『情史類略じょうしるいりゃく』の「癡情篇」は、対象が物と人とで異なるのみで、『癖顚小史』と同類のものである。

このように、当時、類似した書物が数多く出版されていた状況が窺えるが、これらの書物の文献的価値は、伝統的見地からは甚だ低いものであった。

『癖顚小史』は、良く言えば、「癖」の文化の集大成であるが、悪く言えば、諸々の「癖」にまつわるエピソードを他書から抜き書きして寄せ集めただけのものである。

しかも、本文わずか数十葉、誤字・脱字があり、目次と本文の齟齬もあり、書物としては粗雑なものと言わざるを得ない。

「笑癖」を第一篇に置いている点などは、とにかく人の興味を引いて売れればよいという商業ベースの俗書の類であることを物語っている。

『癖顚小史』巻頭の「題辭」と各篇の「評語」は袁宏道によるものとされているが、実は、このこと自体に疑いを入れる余地がある。

袁宏道は著名な文人であり、「癖」を称揚した人物としても知られていた。
そこで、『癖顚小史』の出版に際して、箔をつけるために袁宏道の名前を持ち出した偽託である可能性が高い。

少なくとも『癖顚小史』に関することは、弟袁中道えんちゅうどうの「中郞先生行狀」なども含めて、袁宏道本人及びその周辺の文献資料には一切出てこない。

しかしながら、ここで『癖顚小史』の「題辭」と「評語」が本当に袁宏道によるものか否かを論じることは重要な問題ではない。

『癖顚小史』の如き奇天烈な書物が出版されたということ自体が、明末という時代思潮を象徴的に映し出した一つの現象として興味深いことである。 

明末清初の「癖」の文化

「癖」の文化は、明末の士大夫、とりわけ江南の文人の世界に普く見られたものであり、文人精神の発露として「癖」を語ったのは袁宏道独りに限られるわけではない。

袁宏道は、個性至上主義の観点から、人間論として「癖」を唱道した理論家であったが、袁宏道より約30年後に生まれた張岱ちょうたいは、実際にそうした耽美的生活を送った「癖」の実践者であった。

張岱については前回の投稿で触れたが、『陶庵夢憶とうあんむおく』を紐解けば、彼がいかに多種多様の趣味を持つ有閑文人であったかがわかる。

こうして明末に醸成された「癖」の文化は、清初の文人たちにも受け継がれていった。

張潮ちょうちょうの『幽夢影ゆうむえい』に、次のような一節がある。

花は以て蝶無かるべからず、山は以て泉無かるべからず、石は以て苔無かるべからず、水は以て無かるべからず、喬木は以てつた無かるべからず、人は以て癖無かるべからず。

また、廬存心ろそんしんの『蠟談ろうだん』に、次のようにある。

美玉はきず多し、奇人は癖多し。瑕あらず美ならざるは、是れ珷砆ぶふ為り。癖無く奇無きは、ついに豪傑に非ず。

これらは、袁宏道の「癖」や「疵」についての一連の発言を敷衍し美化したかのような文章である。

李漁りぎょの『閒情偶寄かんじょうぐうき』「頤養部」には、次のようにある。

凡そ人の一生、必ず偏嗜偏好の一物有り。文王の菖蒲菹しょうぶそを嗜み、曾皙そうせき羊棗ようそうを嗜み、劉伶りゅうれいの酒を嗜み、廬仝ろどうの茶を嗜み、権長孺けんちょうじゅの瓜を嗜むが如きは、皆癖嗜なり。癖の在る所、性命ともに通ず。劇病に此を得れば、皆良薬と称す。

ここに至って、そもそも疾病の類であった「癖」が、ついに疾病を治癒する良薬にまで祭り上げられたのである。


付:  『癖顚小史』書影(抜粋)


*本記事は以前投稿した以下の記事の後半を簡略に改編したものである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?