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読書感想文『安楽死が合法の国で起こっていること』児玉真美


 毎日のように、SNSでは「安楽死を認めてください」といった旨の投稿が散見される。安楽死といえば、北欧が有名である。私も鬱が酷かったときは、スイスに行って安楽死をしようと、薄らぼんやりと考えていた時期もあった。安楽死は、苦痛の渦中にいる人々にとって唯一の光のように思える。けれども、実際はどうなのだろうか。本書を参考に、私の意見も述べていきたい。

 日本では、「尊厳死」と「安楽死」が最も混同されている。前者は、「一般的には終末期の人に、それをやらなければ死に至ることが予想される治療や措置を、そうと知ったうえで差し控える(開始しない)、あるいは中止することによって患者を死なせることを指す。」
 と定義づけられている。それに対して、
後者はどうだろうか。「安楽死」は、医師が薬物を注射して患者を死なせることをいう。」
と定義づけられている。

尊厳死を「消極的安楽死」、安楽死を「積極的安楽死」と分類されることもある。
現在日本の実態としては、「尊厳死」は、終末期医療においてすでに選択肢のひとつとされ、日常的に行われる。対して、後者の「安楽死」は現在の日本では違法とされている。

 「医師幇助自殺」も安楽死と称されがちである。これは、前述の消極的安楽死のひとつとされている。よく、「日本でも安楽死を合法に」との声を聞くが、スイスでは現在でもなお「積極的安楽死」は違法であり、スイスで容認されているのは「医師幇助自殺」のみである。
制度化されている「安楽死」に共通した前提で
①意思決定能力のある本人の自由な意思決定によるとの原則
②所定の手続きを踏み、所定の基準を満たしたとして承認された人だけに行われる
③所定の手順に沿って医療職から提供される手段によることとされている。

現在の日本で、「障害のある人が家族や社会の負担になっているから日本でも安楽死制度が必要」などと安易に宣う人が増えている。
だが、そのような制度は地球上のどこにも存在しない。
人類史上、合法的に多くの障害者を殺害した前例が唯一ある。それは、ナチスである。

積極的安楽死ore意志幇助自殺との両方が合法とされている場所
ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、コロンビア、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア(特例区を除く。またニューサウスウェールズ州
の施行は2023年11月28日)、スペイン、ポルトガル

意志幇助自殺のみが合法とされている場所
スイス、米国のオレゴン、ワシントン、モンタナ、ヴァーモント、コロラド、カリフォルニア、ハワイ、ニュージャージー、メイン、ニューメキシコの各州とワシントンDC、オーストリア

「2021年、カナダ政府は精神障害や精神的苦痛のみを理由に安楽死を希望する人については、十分なセーフガードを設けるべく、追加の議論が必要として2年間の猶予を置くことが決まった。期限を迎えた23年春、さらに慎重な議論が必要として再度1年の延期が決まったところだ。」とある。

安楽死のいわば「先進国」で起こってい実情。高齢者の医師幇助自殺が「理性的自殺」「先制的自殺」などと称され、近年増加傾向にある。

「健康な人への医師幇助自殺を防ぐべく、政府は攻防している。」

「制度が濫用されないために定められたセーフティーガードとして機能しているのか怪しくならないだろうか。」

「いずれの国でも、認知症患者、精神\発達\知的障害者、精神的苦痛のみを理由ににした安楽死が増えている中、それらの人では判断が微妙で難しいとして医師の間では慎重論も根強い」

安楽死は子どもに対しても拡大しており、ベルギーではそれまでの年齢制限を撤廃し、意志決定能力があること、終末期で耐えがたい身体的な苦痛があることが条件。

オランダは合法がの当初より12歳以上には安楽死が可能。(ただし16歳までは親の同意が必要)今後、すべての年齢で認める方呼応。
なお、2004年から1歳未満の重度障害、不治の病のある子どもに対しては親の意思決定により「安楽死が」認められている。

カナダでは、安楽死の合法化では2016年と後発国でありながら、次々に過激な方向に舵を切り続け、現在はベルギー、オランダを抜き去る勢いであり、ぶっちぎりの「先進国」
となっている。2024年には精神障害や精神的苦痛のみを理由にした安楽死も容認される方向である。

「安楽死という問題解決策が存在することによって、その手前で模索され、尽くされるべき医療や福祉の努力の必要に関係者の社会も目を向けなくなれば、安楽死は耐えがたい苦しみを抱えた人への最後の救済手段ではなく、苦しんでいる人を社会から排除する安直な――そして最も安価な――問題解決策となってしまう。」

フランスとベルギーで緩和ケアに携わってきた医師のリヴカ・カープラスも
「安楽死を望む人は『生きるより死ぬ方がよいと行っているわけではなく、この状況下で生きているよりも死んだほうが良いと言っている』のであり、『安楽死を求める人々が本当に死にたいと望んでいると思い込むことには、私たちは警戒しておく必要がある」と述べている。

本書の色々な例を読んで、「安楽死」を決意する人は生きたくなかったのではなく、現状のままでは生きられなかったからではないかと思った。経済的な問題が原因である場合、特に深刻な倫理問題を内包しているのではないかと感じた。精神障害者の安楽死など、どこまでが自由意志でどこからが病気の症状なのか分からなくなることも考えられよう。「無益な治療」論の恐ろしさよ……。
コロナ禍で日本の医療や生活でも、オランダや諸外国のようなことになってしまわないか危機感を覚えた。弱者切り捨ての様な恐ろしさを感じた。始終暗澹たる気持ちになった。著者の熱意と参考文献の多さに信頼と尊敬を覚えました。


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