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「文学フリマ東京39」に参加して。今後のこと
12月1日に開催された「文学フリマ東京39」に「奇才人ズ」として参加した。結論から言うと、来年5月の「文学フリマ東京40」は参加しない、と登万里子と話し合って決めた(すでに申し込みはしてあるもののキャンセルは可能)。
奇才人ズとして活動を初めて約1年半たった。その間、5冊のZINEを製作した。1、2号はデザイナーの岡村にデザインを頼み、印刷会社で印刷、3、4、5号は私と登万里子でデザインも文章も写真も考え、製本した、完全なる手作り。ずっと「何かやりたい」という勢いのまま突っ走ってきた。とがりすぎていて、写真家としての活動では出せない、写真、文章をどこかに出したかった。心の中にあるぐちゃぐちゃしたものをそのまま吐き出したかった。そんな思いでZINEを作っていた。
しかし、それも最新号である5号をもって、いったん休止する。奇才人ズはなくならないし、ZINEの販売は通販でやっていこうと思う。SNSの発信も続けていこうと思う。奇才人ズをやっていたからこそ、出会えた人たちがたくさんいる。彼らに刺激を受け、頑張ろう!と思えた。それではなぜ活動を休止するのか。
![「文学フリマ東京39」にて、登万里子が「絶望」ZIENを持っている姿](https://assets.st-note.com/img/1733269875-UGIv8mMKFrHbNY3iuXgy25Cf.jpg?width=1200)
2025年は、私と登万里子はすでにグループ展が2つ決まっており、さらに2人展か、あるいは個人でも展示をやりたいと思っている。「写真」をやりたいのだ。私は、言葉が好きで、文章を書くのが好きで、写真よりも好きだ。写真が撮れなくなってもいいが、文章が書けなくなるのは嫌だ。そのくらい好きである。そんな私がやっぱり「写真」をやりたい、と思ったのだ。もちろん、登万里子も2025年は「写真をやりたい」と言い、さらに「写真以外にもやりたいことがある」と言っていた。聞いたら教えてくれなかったが。
奇才人ズで好き勝手やったことにより、文章と写真の可能性を見つけられたし、これからいつだってZINEを作れるとわかった。やろうと思えば、また再開できる。ZINEはそのくらいラフなものである。しかし写真は、本腰を入れてやらないとできない。撮影はすぐにできるが、その後の過程が面倒くさい。本当だったら写真のセレクトだって、プリントだって、額装だって、何一つやりたくない。面倒くさいからだ。写真がそんなに面倒くさいものだと知っていたら、やっていなかったかもしれない。SNSに写真をアップして満足するレベルにとどまっていたかもしれない。しかし、その面倒くささを乗り越えた先に、多くの出会いや自分の可能性、新たに感じる気持ちがあることを知ってしまった。
私は走るのが嫌いで、できることならこの先一生走りたくないくらいだが、走ってしまう。走りながら、きついな、なんで走っているんだろう、もう嫌だな、といつも思う。でも、走ってしまうのだ(たまに)。今すぐ走るのをやめればいいのに、「あと10分だけ走ろう」「あそこの木まで走ろう」などと思ってしまうのだ。写真はそれと似たような感じだと思う。面倒くさく、苦しい作業なのだ。「楽しい」と感じることは少ない。それでもやってしまう。なぜだろうか。わからない。
![「文学フリマ東京39」にて、狩野萌がZINE3号を持っている姿&ブースの全景](https://assets.st-note.com/img/1733269859-HPKGTjrCpXn3f0mDS7bovQUZ.jpg?width=1200)
文学フリマやほかのイベントを通じて、多くのお客さんと出会い、ZINEを買っていただくことができた。知り合いも来たし、初めましての人も来たし、いろんな人と交流ができた。個人的に4号の『絶望と希望』(私が「絶望」担当、登万里子が「希望」担当)は、一番思い入れのある作品となった。読んだ人が暗くなるような、絶望を感じるような、20代の時に書いていた日記をほぼそのまま出したものだが(写真はここ数年のものを入れた)、作品として昇華できたことがよかった。本当にこれは自己満足だと思う。「頭がおかしい」と言われていた20代の私をちょっと手放すことができたのではないかと。
ちなみに、今回ふらっと来てくれたお客さん一人がブースの前で座り込んでまで「絶望」をずっと読んでくれていて、買っていただけたのだけれど、私と似たような人なのかもしれない。苦しいときはこの世に自分一人だと思いがちだが、意外と一人ではないし、自分に似たような人も結構多くいたりする。本当に苦しいときは何も目に入らないが。それでも一人ではない、ということは伝えたい。
![](https://assets.st-note.com/img/1733270507-OJ92fup8W6g1iZ5yw3DhGrzt.jpg?width=1200)
加えて、「絶望」の見た目もそうなのが、私はずっと、幼い頃から、ああいったテイストのものが好きで、なぜだろう、本物の血は苦手だし、注射も痛くて怖いし、ピアスだって穴を開けるのが怖くてしていない。それでも、小学生、中学生の時には学校の工作で血を模したものを作ったり、怖いような雰囲気のものを作った覚えがある。つまり、私は後天的にドロドロしたものが好きになったわけではなく、生まれた時から好きだったのでは、と思うようになった。これは奇才人ズとして活動してきたからこそ、判明した事実だ。やはり、そういう意味でも「奇才人ズ」は結成してよかったし、これからも動けるときは動きたいと思っている。2025年はちょっとお休みするけれど。
さて、奇才人ズの最後のリアルな活動は2025年1月11日(土)に浅草で12~17時まである「ZINE FEST TOKYO」だ。前述の4号は売り切れのため、作らないとないのだが、作るかどうかは未定である。今まで買っていただいた人からすればあまり変わり映えしないラインナップになると思うが、ゆるくやろうと思うので、おしゃべりがてら来ていただけるとうれしい。