Ⅲ. 差別反対の人々ーかとさ軍団編
1. デマと事実の切り取り
皆さんは「悪者」にされたことがありますか?
「悪者」の作り方は案外簡単なようで、以下にお見せするのは3ヶ月ほど続けられた行為のごく一部ですが、彼らの明確な目的に対するアプローチは一貫して根気よく続けられました。
想像してください。
自分や自分の周りの人々が次々と批難され、嫌がらせに巻き込まれ、日常が壊されていくということ。
対峙していたネトウヨに仕立てあげられるということ。
悪いことをしていないのに、「実行犯」に仕立てあげられるということ。
想像してください。
親子のような関係だと慕った相手に差別された出来事を「痴話喧嘩」としてデマを流されること。
想像してください。
アムズ魂さんの「スクショを晒す」という発言に対して一度「セカンドレイプ」と言った事が他の色々な事に対して吹聴しているかのように言われること。
リンチなどしていません。
恋愛などしていません。
他人を利用などしていません。
想像してください。
差別された事で落ち込み悩んでいる最中、とても多くの人がさも事情を知っているかのような口振りで自分のデマを流すこと。
想像してください。
自分を励ましてくれた人々が「主犯」に仕立てあげられ、「特攻隊」と揶揄されること。
一言も発していないのに「汚らわしい」と罵倒され、「セカンドレイプ狂言」と罵られること。
想像してください。
かつては共に対峙していたはずの「ネトウヨ以下」と罵られる情けなさ、「レイシスト以下」と罵られる情けなさ。
想像してください。
手当たり次第に自分の周りのアカウントを巻き込み、まるで全て同一人物かのように罵られ、濡れ衣を着せられていくこと。
想像してください。
匿名のネット掲示板の書き込みまで疑われ、四六時中監視されているかのように感じさせられること。
2. アウティングと個人情報
カミングアウトの難しさは前編でお話した通りです。
デマと共にされるマイノリティへのアウティングや個人情報の流出、一部の切り貼りされた事実にはどんな意味があるのでしょうか?
自分が正当であることを証明するため?
自分の正当性を証明した上で、加害者を晒しあげるため?
都合よく修正された記憶から連投されるツイートは全く真実性がなく、独りよがりなデマでした。
私の大切な友人達は個人情報やLINEのスクショ、写真などを公開されました。
DMのスクショの流出は毎日のように繰り返されました。
もしかすると、自分達の行動の正当性に自信をつけるために相手の行動の揚げ足をとることで周囲の賛同や称賛を求めているのかもしれないですね。
デマを流し、デマだと知りながら拡散させた人々が、被害者の弱味をどんどんと流出させました。
3. 要求され続ける説明と謝罪
デマによって「主犯」「実行犯」「狂言」をしたとされる人は、何を説明し、何を謝罪しなければならないのでしょうか?
あなたに「主犯」に仕立てあげられてごめんなさいと言えば良いのでしょうか?
あなたに差別されてごめんなさいと言えば良いのでしょうか?
あなたのデマの釈明ができなくてごめんなさいと言えば良いのでしょうか?
どうして男性のDMは公開するために承諾を得るのに、なぜ女性のDMは無断で公開する人がいるのでしょうか?
こういった性差は何が理由で生まれるのでしょうか?
ありもしない恋愛感情をでっち上げられたり、「オタサーの姫」と称されたり、品性のない言葉で罵られるのはなぜなのでしょうか?
もしもマイノリティでなければ、ここまでの差別や嫌がらせを繰り返されなかったのではないかと思っています。
4. 被差別者が生きるということ
被差別者にとって生きるということはどれだけ苦しいことなのでしょうか。
生きているのに地獄にいる人がいます。
この世が地獄だと感じている人を見て大袈裟だと感じる人はいるかもしれません。
生まれながらに差別を受けている人がいることを知ってください。
赤ん坊は生まれる時、親、家、国、地域、性別、体なにひとつ選べないのです。そして、虐待、犯罪、職業、言語、病気など、被差別者はいくつもの複合的な理由によって差別されてケースがあります。
想像してください。
血筋を理由に自分の存在を否定され続けながら育つ子供の悔しさを。
身体的、精神的、性的虐待を受けて育つ子供の悲しみを。
格差社会を悲観し、教育にありつこうとする子供の苦労を。
社会人になっても貧困から抜け出せない人々の絶望を。
ゆとりのない働き方に追い込まれていくブラック企業の従業員の苦しみを。
性犯罪の被害が忘れられずに長く恐怖と闘い続ける被害者の悲しみを。
少しでも想像し、聞く準備ができているのであれば人を傷つけることは回避できるかもしれません。
差別やいじめ、ハラスメントなどの被害にあった時、自分の存在そのものが否定されていると感じる事さえあるでしょう。情けなく惨めな気持ちは否定できません。
そんな気持ちの整理がつかない中で、何人もの人に何ヵ月も説明しろ謝罪しろと言われる事を想像してください。これは差別です。
被差別者が生きる上で大切なことは逃げることかもしれません。
死から逃げる。
差別から隠れる。
差別と苦しんでいる人に寄り添いたい人がすべきことは説明を求めることでも無断で証言者になることでもなく、耳を澄まして聞く準備をすることではないでしょうか。
言葉にするのが辛い時は誰にでもあるのです。
前編はこちらから
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