Ⅳ.差別反対の人々ー謝罪編
1.ノロの謝罪とその撤回
私は人生の中で何度か言葉を失いました。
今こうして言葉を失わずに暮らしていけるのは、差別に一緒に怒ってくれた方々がいるからです。
前編で紹介したデマや謝罪要求の一際苛烈に繰り返されるようになり、私はこのように自分の思いを綴りました。
この数時間後、思いがけずノロさんから引用リツイートをされました。
ノロさんが舌を切ると話しているのは、ご自身のこのツイートを受けての事です。
多くの人の批判を受けて、謝罪ツイートを書くことにしたようです。私はこの謝罪を受け入れようと思いました。前編まででお話した彼らの言動からはとても前進しているように見えたからです。それなりの勇気を出してした謝罪ならば受け入れようと思っていました。
ところがその翌日、謝罪文を引用リツイートして「や~めた」といい、私の友人を侮辱しました。
そして謝罪文を取り消しました。
ノロさんは周囲の方に裁判と言っていますが、実際にそのようなものがあったのかどうか私は知りません。「責任を取ってアカウントを削除する」このご自身の決定から免れたい一心で一方的に謝罪を取り消したのではないか。私にはこのように解されました。
謝罪表明直後の撤回に、やるせない気持ちでいっぱいになりました。
2.ある人の限定的な謝罪と開き直り
ある人がこう謝罪をしました。
この謝罪はあまりに唐突で驚きました。
私の友人の個人情報や写真を流出させたことを素直に謝罪してきたのです。
しかし、後日詳細について人を介して質問したところ、別人を通じてこのような回答がかえってきました。
あまりにも身勝手だと思いました。
前編でお話した通り、彼らは私達に対してしつこく何ヵ月も説明や謝罪を要求し続けました。なぜこのような行為をしながらも説明する責任からは逃れようとするのでしょうか?
3.簡単には回復しない尊厳
こういった謝罪が真摯なものならば受け入れることもできるでしょう。
しかし世の中には舌の根も乾かぬうちに謝罪を撤回したり、悪質な嫌がらせ行為を開き直り説明責任を果たさない人も存在します。
ではこのような人々に対しては何を思えばよいのでしょうか。謝罪を要求したところで反省がなければ何の意味もありません。
傷つけられた尊厳はどのように回復させるのか。全ては被害者の自己責任なのでしょうか。
差別に反対を唱える人々の中には、知らず知らずのうちに差別に加担している人もいるでしょう。自分の言動に差別や偏見がないのかをつねに意識しなければなりません。考え続ける事が大切なのです。
前編でお話した通り、彼らは私や私と一緒に抵抗してくれた人々に対してしつこく何ヵ月も説明や謝罪を要求し続けました。なぜこのような行為をしながらも説明する責任からは逃れようとするのでしょうか?
なお、一部の行為については何らかの措置を検討しています。
前編はこちらから
Ⅰ. 差別反対の人々ーノロ編