【物語の現場054】堅城・赤穂城を訪れて思う、討ち入りの裏側(写真)
「狩野岑信」の第六十九章から第七十一章にかけて、吉之助たちが赤穂浪士の討ち入り事件に対応する様子を書きました。
この物語では、討ち入り(幕府の公文書の記述では「押し込み」)は、ほとんどの者にとって青天の霹靂であったという扱いです。
赤穂事件を題材とした小説やドラマなどでは、赤穂浪人特にその頭目である大石良雄(内蔵助)の優秀さ(危険性?)は一定の範囲で知られており、幕府内の権力争いともからめ、ある者は討ち入りを助け、ある者は邪魔をするような展開が多いように思います。
しかし、柳沢にしろその反対勢力にしろ、江戸の治安に責任を持つ立場の者が事前に察知していれば、絶対にやらせていないと思うのです。
幕府創設から百年。どこかの外様大名が蜂起して江戸に攻め寄せるなど、最早誰も考えていません。当時、江戸の町にとって最大の脅威と言えば、火事です。
明暦の大火で三代かけて作り上げてきた町の三分の二が焼け野原に。自己顕示欲の塊のような家光が建てた金ピカの天守閣も焼け落ちました。
そこから復旧復興に努めてきたところでまた大火事。吉之助たちも出陣した勅額火事です。明暦の大火ほどではありませんが、現代で言えば銀座から上野辺りまで焼けています。これは、吉良邸討ち入りのわずか四年前のこと。
従って、火事の怖さは上から下まで身に染みている。幕府の偉いさんたちが、ある意味のん気に権力争いに興じていられるのは江戸の町が安泰だから。
我々は結果を知っています。この討ち入り事件では幸い火は出ず、吉良上野介の首が落とされただけで終わるという結果を。しかし、当時の人々は知りません。
屋敷内の灯りは蝋燭か油。しかも建物の大部分が木と紙で出来ている。そして前にも書きましたが、本所松坂町は決して野っ原の一軒家ではありません。争いの中、もし火が出れば・・・。
政治的駆け引きのために演じさせる狂言としては、少々危険すぎるでしょう。
一方、江戸の町は武家屋敷だらけ。そして、大名から幕臣まで、全ての武士に対して幕府は絶対的な指揮権を持っています。
わずかでも危険を察知すれば、二十四時間態勢で警戒を命じられる。町人区画も同様。幕府がその気になれば、市中、猫の子一匹通さない状況に出来たはず。さらに言えば、怪しげな人物を捕まえるのに裁判所の令状など要りません。片っ端から引っくくり、少しでも抵抗すれば斬り殺してしまえばよいのです。
それをしていないということは、やはり幕府の要人たちは、まったく気付いていない。警戒していなかったのだと思います。
家綱時代に激減した大名の取り潰しは、元禄期にはまた増え始め、概ね年に二、三家の大名が改易となっていました。大名が改易となれば正規の家臣だけでなく、足軽、中間、奥女中や下働きの男女、さらにはその家族も含め、数千人が路頭に迷うことに。
当然、治安上の懸念が生じます。幕府としては、大名改易後の対処マニュアルを用意し、老中から治安担当者(町奉行や道中奉行など)に対して注意喚起もなされていたでしょう。
さらに赤穂藩の場合、事情が事情なので、旧藩士が吉良家を襲う危険性も指摘されていたかも。ただし、あくまで数人の撥ねっかえりによる衝動的な行動を想定したものだったのではないか。吉良家の脅威想定も同じです。
まさか、五十人もの武士が完全武装し、一糸乱れぬ部隊行動で攻め込んで来るなど、誰も想像していなかったと思います。
後の祭りですが、これは完全に体制側の油断。そして、その油断を招いた原因のひとつが、赤穂の城ではなかったか。現地に行ってそう思いました。
写真は、赤穂城跡(兵庫県赤穂市、2022.11.18撮影)。
五万三千石には不釣り合いなほど立派な城郭。殿中で刃傷に及んだ内匠頭長矩の祖父に当たる初代藩主が幕府に築城願いを出して着工しました。
しかし、関ヶ原の戦いから五十年近く経っていた頃です。ただでさえ外様大名に対する締め付けが厳しくなっていた時代、浅野本家や同じ分家仲間から、空気読めよ、とか思われたんじゃないでしょうか。そういう血筋なのかも。
ともかく、大名は居城の図面を幕府に提出していましたから、幕閣たちは赤穂城の立派さを知っていました。しかも、内匠頭をその日の内に他家の庭先で切腹させている。さすがに乱暴なことをしたという自覚はあったでしょう。
従って、柳沢をはじめ幕閣たちは、この堅城に赤穂藩士が立て籠って抵抗すれば大変なことになると内心ヒヤヒヤだったと思います。
ところが、意外にもあっさり開城してくれた。
皆、胸を撫で下ろしたことでしょう。不安が大きかった分、安堵も大きい。そして、幕府の要人たちは多忙です。後は奉行クラスにお決まりの注意だけ与え、忘却の彼方へ。大石良雄という名前すら、覚えていたとは思えません。
ちなみに、写真の左下は天守閣跡から見下ろした本丸庭園(復元)。内匠頭と大石が一緒に眺めたことはあったでしょうか。考えてみれば、この二人も変な主従です。
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