私達は、いま
「好きな人に 好きになってほしい」
ただシンプルな答えのはずなのに、現実はとても複雑だ。
それも、せっかくなら大きな傷を負わず、その気持ちが報われたらいいと思っている。そして、自分よりも大きな気持ちと熱量で求められたいと欲張る。
誰だって傷付きたくないし、怖いのだ。
私達の根底には、いつもこの気持ちがセットだ。
そのために幾つもの予防線を引いて、保険をかける。大人になると、その方法をたくさん知ることになって、時にはそんな自分が嫌になる時がある。
大人は厄介だ。
好きな気持ちを見えないように
自分が優位であるように
自信がないのがバレないように
余裕がないのがバレないように
重いと思われたくなくて
ついつい自分の気持ちに蓋をして
取り繕って、彼の前で言う「大丈夫」
これで何億回目だろうか。
こんな風に恋愛に臆病になって、もうどれくらい経つのだろうか。違う。こうやって恋愛していくのに慣れてしまったのか。きっとそれを選択しているのは紛れもない私なのだが、今は少し見て見ぬふり。
解っている。
ずっと前から知っている。そんなこと。
うるさい。黙れ。
耳を塞ぎたくなる。
どこまでもグレーで、傷付きも傷付けないもしない距離感にある、生ぬるい温度たち。体が怠い。もうこの世界には飽き飽きしてきた頃だ。
「あぁ、私は私が1番かわいいんだ」
私達は、傷付く覚悟もできてないのに安心ばかりを求め、自分ばかり満たされようとしてしまう。そんな時に自分の小ささに気付く。
だが、それは自然なことで、それが決して悪いとは私は思わない。それはそれでひとつの正解。
というか日常だ。
予防線が多ければ多いだけ、きっとその人は繊細な人なのだろうと思う。傷付いてきた過去があるから、生まれた術なのだろうと思う。
頭のいい人だ。優しい人だ。愛がある人だ。それに気付いていないだけで、貴女はきっとそんな人だと、私は知っている。
その日常を経て、私達は
自分のHPがどれくらいあって、これ以上は危険の黄色になってしまうとか、それを回復するためのアイテム(趣味や時間)を使いこなす術を学んで、進化していく。
そうやって、だんだんの恋愛に対する自分の在り方を知っていけるのだと思う。
ただ違うのは、ゲームのように最終形態が決められているわけではない。可能性はいくつもある。
同じなのは、コンティニュー、リタイア、そしてリスタートを選択できることだ。
世に言う「いい女」「いい男」
という基準の人間たちは
"愛されたい、だが傷付きたくない" が
"自ら愛したい、そしてその傷を負う覚悟も責任も、もう準備はできている" になった人のことかもしれないと思う。これは、私の中での一つの答えだ。
結局何が言いたいのかというと、
はじめに戻るのだが、根底にある「傷付きたくない」気持ちとどれだけ向き合えるか、そして勇気を持てた時にグレーから踏み出せるのだ。
ただ、これだけは言える。
大丈夫。
死にはしない。
私もまだ 生きている。
一つの章が終わったにすぎない。
心に耳を傾けた者にしか、自分の声は聞こえないのだ。
声だと思っていたのは、もしかしたら雑音だったと気付く時。
自分なんて が 自分こそは になった時。
しがみついていた気持ちが、必要ないものとわかった時。
もう次に行く準備が始まっているのだ。
私達は、いま
私は、いま
少しの勇気を持って、一歩踏み出した。
そんな臆病者でも、小さな決断を積み重ねる勇気が
人生を変えていくきっかけになっていくと知ったから
どうか、素敵な休日を。