新宿で適当に入った店の占い師に言われた「あなたのラッキーカラーは赤」という言葉と「25歳から30歳までの間に結婚します」ってなんの根拠もない言葉を信じてる。 でも別に、赤を身に付けているからラッキーが必ず起こるなんて思っていないし、25〜30歳の間に結婚できなかったとしても、裏切られたと逆上して占い師をメッタ刺し‼︎なんてことはしない。笑 信じるってただの自分の気持ちの持ちようであって、相手に何か責任を押し付けるようなことではないと思う。信じるというのは信じた自分に責任が
「あ、」と思う瞬間がある。 そういう時は脳の奥で火花がパチパチとあがって、それが心につながる導火線に燃え移る。伝った炎は、ゆっくりゆっくり時間をかけて心を包む。 体の中の炎が大きくになるにつれて、熱さで思考はやられてしまって、考えられるのは君のこと。それと今日の晩御飯のことくらい。 そのまま心が無くなるまで燃え続ければ、炎が消え、熱が冷めると新しい心がどこからか装着され、ドクドクと元気に脈を打つ。 しかし途中で炎が消えて、不完全に燃え残ってしまった心の残骸は、黒い煤で
昔からなぜか自分は普通の子ではないような気がしていて、君はセンスがあるとか、視点が違うだのなんだのと言われる言葉を鵜呑みにして、私は特別な人間なんだと少し鼻高々であった。 そんな自分が好きだった。でも本当はわざとらしく特別な人間であろうあろうとしている自分に気づいていた。けれど、見ないふりをした。 あなたのセンスが好きだと近づいてくる人と接する時、私は嘘をついているような感覚になった。本当の私はなんでもないのにわざと特別な人間を演じているだけなのに。と。 私のアイデンティ
あたたかい。それは確かにそこにあって わたしたちを包んでいる。 小話の種を見つけたら、必ずあなたの前で咲かせようと思っているし、涙の数は一緒に数えて、ついでに湿った頬にキスをして欲しい。 馬鹿みたいなことで笑い合って、痛みには手を当てて欲しい。 与え与えられること。 自分の価値は自分で決めるといいつつ、あなたに見出してしまっている。ここにいていいよも、愛しているよも、自分で自分に言ってあげないといけないのに、どうしてもあなたの口から聞きたい。 私達を暖かく包み込んでいる
安心がほしい。ただそれだけ。 大丈夫の3文字をはてなじゃなくてまるでくくって、優しく抱きしめて、頭を撫でて欲しい。 変わるということは当たり前にそこにあるし、怖くはないけれど、果たしてそこから進むことができるのか、分からないのが怖い。自分は何もできない人間だということが証明されてしまうような気がして、踵を返して逃げ出してしまいたくなる。心の柔らかくて弱いところを無神経な言葉のナイフで突かれるのが怖い。その痛みに鈍くなることが、大人になることというのなら、私はずっと子供のまま
信頼すると言うことは期待しないことだと思う。 ここでの期待しないは「あなたは私の思いを叶えてくれない人間だ」とか、「この程度の人間だ」と見限ることではなく、「あなたと言う人間は私の思い通りにならないものだ」と言うごく自然で当たり前の事実を受け入れること。 このことは「私」にも当てはまって、自分はダメな人間だと決めつけることが期待しないと言うことではなく、自分のありのままを受け入れて、何ができて、何ができないのかを考えること。置かれた場所で咲く方法を考える。 「あなた」のせ
私のこと好き?愛してる? 恋は曖昧を嫌って、はっきりくっきりさせたがる。求めた答えが得られないとわかると、わざとらしく私は機嫌が悪いですよと示してみたり、イラついて尖った心をぶつけて、跳ね返って自分に刺さったその痛みの強さを愛の深さだなんて勘違いして、わざとらしく痛がって、優しく撫でてもらいたがった。 愛は曖昧だなんて認めたくなくて、確かなものと言葉を求めた。あなたのほんとうは私のためにあるんだし、私のほんとうはあなたのためにあるものだよ。そうでしょ?の、はてなマークに執着
ごく自然に、当たり前に、何の気なしに。 私達は変化している。 気になるあの子は髪を切っていたし、近所の田んぼがいつの間にか誰かの家になっていたり、私に向けられていたあなたの優しい眼差しは他の誰かを見つめていたりする。逆も然り。 変化は私たちのずっとそばにあって、そんなに大したことではないのだな。変わるということは、そのままであることを受け入れることなのだ。 変わることが怖いという気持ちや変わりたいという気持ちのどちらも、自分が変化していること、変化するということがそのま
満たされて溢れ出た部分が愛なんだな。 コップの中身ばかりに気を取られて、私はそれを知らないと思い込んでいた。 愛は自分本位で恋は自分勝手。 愛はエゴで恋はワガママだ。 ほんとうの愛は重くも痛くもなくて、柔らかくて、熱を持っていて優しく包み込むような、そんな形をしている。
受け入れるということは、全てを肯定するということではないのだ。 向き合うということは、全てを理解できない、向き合えないということも知ること。 じーっとみつめて、少し目を逸らして。 あなたという人間のそのままを知る。 心がほんとうは柔らかくて変わりやすくて、渇いていて脆いものだということを私は知っている。 ほんとうの愛が、「愛してる」や「好き」という言葉では表現できないものであることも。 誠実とはありのままを見つめた上で目を逸らすことで、不誠実とは見つめたふりをして逃げ
足るを知るとは「今あるもので満足しなさい」というわけではなくて、「全てが満たされた状態なんてない」を知るということだと思う。 私達はいつも何かしら他者と自分を比べて、これが足りない、これは足りていると評価を下しがちだ。けれど本当にしないといけないのは「他者と自分の線を引く」ということで。 他者にばかり目を向けていては、満たされない気持ちは増幅していく。自分という存在に目を向けて、何が必要なのかを考える。 置かれた場所で、そのまま縮こまって震えているのではなく、どう咲くのかを
日々が瞬きをする間もなく変化していて、 ぐるぐると目が回って立っていられなくなる。 そんな時に差し出された手を簡単に掴んでしまうと、私は私で無くなって、その手の温もりに溺れて、すぐに溶けてしまう。 温もりにあぐらをかいて、私は私のほんとうを自分で見つけることを辞めてしまう。これが君のほんとうだよとあなたに示してもらえたら、どれだけ楽だろうかと思ってしまう。 バカな女を演じて適当にヘラヘラ笑っていれば、上手くいくなんて微塵も思ってないし、本当はたった4文字の返答で終わる簡単
あなたを全てを知りたいの。 私の全てを知って欲しいの。 そんな舌が照れて火傷しちゃいそうなセリフが口から飛び出すから、恋とは恐ろしいものだ。 知りたいの言葉の裏には、自分の思った通りであって欲しいという希望のような執着が含まれているし、知って欲しいの裏には、どんな私でも肯定して欲しいというわがままな欲望が見え隠れしている。 あなたの「愛しているよ」の愛は常に渇いていて、相手からの見返りを求めていたし、思い通りにならない時に出る「死んだほうがマシだ」という言葉は、あなたを通
何にもなれない私になりたい。 ぎこちなく伸ばした手を握ってくれた貴方は、 私の心の柔らかいところを強く引っ掻いて、優しく撫でて、振り返りもせずにいなくなった。 痛みと共に私はお望み通り 何にもなれない私になった。 傷は消えてもズキズキと痛んで あー慣れない。
ある森に怪物が住んでいました。 怪物はその見た目から、森に住んでいる他の動物達には恐れられていました。 けれども本当は、怪物もみんなと仲良くしたいと思っていたのです。 そんな怪物にも1匹だけ友達がいました。 それは鹿でした。鹿は怪物が本当は優しい心を持っているんだと気づいて、恐れることなく友達になろうと言ってくれたのでした。 --- そんな鹿との日々がゆっくりと過ぎていく中で、怪物はもっとたくさん友達が欲しいと思うようになりました。 そして、森で1番なんでも知って
2019年に作成した自作絵本です。