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【青森県青森市】謎の博物館「北のまほろば歴史館」は青森の歴史と北東北の海に生きる人々の博物館だった

 当ブログでは北東北の数多くのニッチな博物館を紹介してきた。
 特定分野に対して深く鋭く食い込んだニッチ博物館の数々は、切り口こそ小さいもののその内容は様々な分野にまたがるように非常に深く食い込んでおり非常に興味深いものばかりだった。

 さて、こういった博物館とは逆に、館名だけでは名前があまりにもふんわりしていてなんだかわからない博物館もある。
 その代表と言えるのが、青森市にある北のまほろば歴史館だと思う。

 青森市の中心部の海沿いにあり、青森市を訪れたことのある人ならば名前は知っているだろう。
 北とはどの範囲なのか、まほろばとはどういう意味で言っているのか。絶妙に怪しさを感じるネーミングであり、かなり前から名前は知っていたがなかなか訪れることはなかった。

博物館外観。
見た目は新しく綺麗、そして何よりデカい。
外に展示されている巨大な木造船
入り口の看板の英訳によると
一応は歴史博物館のようだが……

 さて、先に結論から言ってしまうと元々北のまほろば歴史館は元々みちのく北方漁船博物館という博物館だった。
 こちらの名称ではわかりやすいが、かつてはその名の通り北東北の漁業に用いられてきた船、特に木造漁船を中心に展示を行っている博物館だった。
 しかし運営元であった地元の銀行の経営の悪化などもあり2014年に一旦博物館は閉鎖。その後は青森市に管理が委譲され、北のまほろば歴史館として再スタートを切ることになったそうだ。

 ちなみに野辺地のへじ町にある常夜燈公園に展示されている北前船「みちのく丸」は元々みちのく北方漁船博物館にて、船大工の技術継承などを目的に製作されたものが野辺地町へと譲渡されたのだという。

海沿いに展示されているみちのく丸。
なおこのすぐ近くにあるのへじ活き活き常夜燈市場の食堂は
お手頃な値段ながらも新鮮で美味しい海の幸が堪能できる
おすすめの食堂だ

 どうやら元々木造漁船専門の博物館から青森市の歴史に関する展示に割くスペースが大幅に増えたことに伴い、名前が変更されたようである。

入ってすぐの場所にあった
浮世絵風に描かれた青森市のイラスト

 まず手に入る展示コーナーは、かつて青森の人々が来ていた衣服に関する展示を行なっているエリアだ。
 晴れ着から仕事着までの実に様々な装束、そしてそれにまつわる道具がこのエリアに展示されている。

かつての青森の人々が着ていた装束。
左端にアイヌ紋様の書かれた装束がある。
東北地方の各地にアイヌ語由来と思われる地名が
残っていることは言うまでもないが
あまり青森県外の人に走られていない話として
津軽半島や下北半島、そして青森市に程近い夏泊半島あたりでは
江戸時代辺りまでアイヌ民族独自の集落が残っていた。
また、津軽弁の語彙のいくつかにはアイヌ語と共通するものが
見られるという
衣類に関係する道具も展示されている。
これは昔話の定番品である糸車
こちらは織機。
どれも実際に使われていた道具のようだ

 このスペースの外には実際に北国らしい装束の1つである角巻かくまきを着用できるコーナーがある。と言うかこの先の大展示スペースには暖房がないことから、上着の貸し出しも兼ねているらしい。
 実際の着用体験や上着の貸し出しを行っている博物館はたまに見るが、それを兼ねた展示というのは初めて見た。地域の生活の様子を展示した博物館だからこそできる体験展示だ。

角巻の名前を聞いてもピンとこない人は多いだろうが
写真を見れば「これか!」と思う人も多いはず。
巨大で毛布のように分厚いストールのようなもので
これを羽織って使う。現在でも真冬の時期になると
主に高齢の女性が使っている姿をたまに見る
扉の向こうが大展示スペースだ

 角巻が貸出されていたために身構えたが、大展示スペースの寒さは思ったほどではない。窓が多く日光が入っていることに加え、もちろん風も遮られているので、少なくともここに来るまでの屋外でのコートなどをそのまま着ていれば十分だろう。

大展示スペースでまず目に入るのは北前船の模型。
上に書いた、現在野辺地町にあるみちのく丸の縮小版である
縮小版とはいえそのサイズは1/4。
十分すぎるほどの迫力だ
内部も作り込まれており、覗いて中の構造を見ることができる
みちのく丸の周囲には青森の歴史を代表する
展示物が並んでいる。
最初はもちろん発掘地別に並べられた縄文土器。
因みに有名な山内丸山遺跡は青森市の郊外にある
弘前藩の港として整備されていた時代の青森の図
湾口としての青森に関する展示が多いのは
元々船を中心に展示していた博物館ならではだろう
廃藩置県まで現在の青森県は津軽藩と南部藩に大きく二分されていたが
県都が成立したことで弘前市と八戸市のほぼ中間にあり
かつ港にも恵まれている青森市が県の中心となった

 北前船の模型の横にある階段とエレベーターを登り、次の展示スペースへと向かう。

訪れた際はエレベーターが不調だった。
とはいえ階段の方も新しいためか緩やかで登りやすい

 2階の展示スペースでは、この施設の目玉とも言える様々な木造漁船や漁具が展示されている。

この博物館に展示されている漁船の多くは
国指定重要有形民俗文化財だ。
その数は文化財に指定されているものだけでもなんと合計67隻。
そのどれもがかつて現役だっただけではなく
今でも海に浮かべれば普通に使えそうなほど状態がいい
礒漁に使われていた磯舟を
底から見た時の形状の違いがわかりやすいよう
建てて展示されている一角。
左から立体的な船底の形状をしたシマイハギ型、
青森県の三沢市から岩手県の久慈市にかけての
主に南部藩地域北部の沿岸で見られたと言うカッコ型、
そして底がほぼ平面で
下北半島や津軽地域、秋田県北部で見られたと言うムダマハギ型だ。
因みにここでいう「ハギ」は漢字では「接ぎ」と書き
このような船を作ることを「船を接ぐ」と表現したという。
船大工はこの程度の船であれば図面は引かず
たった1人で2週間程度で作っていたと言うが
FRP(グラスファイバーなどを骨材にしたプラスチック材)など
新たな素材が普及した現在、その技術は急速に失われつつある
こちらは秋田県北端の街町の1つ
八峰町からやってきたマルキ型の船。
一般的に丸木舟と呼ばれる一本の大きな木をくり抜いた船は
一枚板で出来ているために頑丈で
特に岩場の多い磯に非常に適した形状だった。
とはいえ製作には巨木が必要になるため
そこから派生する形でムダマハギ型などの
様々な木造漁船が生まれて行ったらしい。
因みに推進方法に書いてあるキリガイとは櫂
つまりオールの一種を指す
参考までに男鹿半島の先端にある
男鹿水族館GAO付近の岩場。
頑丈な船底が求められてきた背景が
なんとなく想像できると思う
久慈市で使われていたカッコと呼ばれる船。
構造としてはムダマハギ型に数えられる。
推進方法にあるクルマガイは
北日本で一般的に使われてきた櫂なのだそうだ
ワカメ漁に使われていたという漁具ネジリガマ。
なお現在のワカメはほぼ養殖ものが占めており
中でも岩手県から宮城県にかけての三陸では
全国の養殖ワカメの7割が生産されている
こちらはウニ漁に用いられていた四本ヤス。
北東北でウニというと久慈の海女のイメージが強いかもしれないが
こちらは青森県の下北半島で使われていたもの。
現在も下北半島、特に佐井村は夏には美味しいウニが食べられる
こちらはイカ釣り漁船に用いられてきた漁具。
海水温の上昇や海流の変化のためか
ここ10年ほどでスルメイカの姿を
めっきり見かけなくなってしまった
漁具の後ろには大漁旗が展示されている。
かつて北東北の潮風を存分に浴びていたのだろう
そして再び船の展示。
名称にバッテラとあるがこれはその地域で呼ばれていた
磯舟の名前なのだそうだ。
磯舟は地域ごとの名称の差異が大きく
それだけ生活に密着してきた背景が窺える
秋田県八峰町ではホッツと呼ばれていたらしい舟。
製作者の名前も残っている
舟の前には個人的に愛してやまない顔はめパネル。
昆布を持っている女性をモチーフにしている。
現在も青森県の下北半島では昆布漁が盛んなほか
薄くて柔らかい1年目の昆布を巻いたおにぎりである
若生おにぎりは津軽地方の沿岸で故郷の味として親しまれている
なお、ここからは1階の展示スペースが上から見られる
漁に使われていた網。
 そして奥にもどんどん並ぶ舟、舟、舟
近くで見ると圧巻である。
この1隻1隻がかつて幾度となく海の上を走り
人々の生活を支えてきた
こちらは先ほどからパネルに書いてあるクルマガイの実物
こちらは電球が普及するまで使われていた石油式の漁船ランプ。
インテリアに欲しくなるような、なんとも味のあるビジュアルである
この先は下りスロープで1階に向かうが
その道中にも様々な漁具が展示されている。
こちらは船を停めるのに使ったイカリ
スロープの下には青森土産の定番
金魚ねぶたが隠れていた

 さて、ここからはかつての青森の人々の生活にあった道具を展示したコーナーだ。

洗濯道具と和服が干されている様子
かつて街を彩った看板の数々が展示されている
当然ながらこの時代の看板は全て手書き。
ホーロー看板よりも前の時代
使える色なども限られている中で人目につくよう
金色の塗料がよく使われたのだろうか
この辺りは薬の看板。
実際のところどの程度きいたのか気になるところだ
看板近くにあった古い時計や電話の展示
そしてなぜかオルガンもここにあった。
音が鳴るもの繋がりだろうか
舟の展示コーナーから見えた
昭和初期の民家内を再現したエリア。
壁こそないがサイズ感もそのままだ
このエリアは靴を脱いで実際に上がることもできる
ちゃぶ台や座布団なども置かれており
休憩スペースも兼ねているらしい
囲炉裏と茶道具が置かれた、文字通りの茶の間
囲炉裏。
左奥にはイジコ(嬰児籠)と呼ばれる
かつて農村で使われていた赤ちゃん籠が見える
こちらはトイレ。
今でも田舎の民家にたまに残っている汲み取り式トイレがそうだが
汲み取り式だった時代はトイレは家とは別棟に設置されていた
こちらは炊事場。
薪なども近くに置かれている
直径1メートルはありそうな水がめ。
「この世界の片隅に」ですずさんが砂糖を落としてしまったやつだ
調理道具の数々。
どれも一見した程度で使い方がわからない
様々な生活用品がテーマごとに展示されているコーナー。
これは手籠類を展示しているところ
北国というだけあり防寒具の種類も実に多様だ
こちらは井戸。
水がめでも思ったが、水道の有無で水に対する感覚は
大きく変わったのだろう
この辺りでは脱穀などに使われていた道具が展示されている
更に奥には先ほどのコーナーで展示されていた船を
下から眺めることもできる
運搬具のコーナーもある。
こちらは大八車といい人力で物を運ぶのに使った車
岩などを運ぶのに使ったもっこ。
担ぐこともできるようだが残念ながらこの時の自分は
1人で来ていたのでかつげなかった
北国ではそりも欠かせない。
現代でも積雪時の雪国ではベビーカーが使いにくいため
子供用ソリに小さな子供と買った物をおいて
運ぶ姿をたまに見かける
より小型のものを運ぶ道具も多数展示されている
こちらは防寒具のみの・けら。
近くで見ると非常に美しいデザインが編み込まれており
ファッションとしての役割もあったらしいことが窺える

 そしてこれらは奥には、写真で昭和初期の青森市を振り返るコーナーがある。

コーナーに入るとまず目に入るのはやはりねぶた
昔の子供達のおもちゃを展示したコーナー
大正から昭和初期にかけてのめんこ。
武者絵が描かれているところに時代を感じる。
子どもの生活に密着したものだけあって方言も多く
青森では丸いめんこを「びだ」や「びった」
四角いめんこを「ばっこ」と呼び分けていたらしい
かつて青森に存在していた陸軍所有の青森飛行場に関する展示
発掘調査で見つかった昭和初期の道具など。
調査の際には焼夷弾も見つかったという
旧日本陸軍にまつわる展示の数々。
ちなみに青森市内にある陸上自衛隊青森基地には
防衛館という資料館もあり予約すれば入館可能。
まだ記事にはできていないが、かなり面白かったので
ぜひお勧めしたい施設だ
そして青森を語る上で欠かせないのがねぶただ。
かつては和紙と竹で作り、照明には蝋燭を使っていたが
近年は針金やLED電球が使えるようになり
さらに複雑で多彩な表現が可能となった。
とはいえ昔のねぶたの荒々しさもまた魅力がある
青森市は歴史が長い一方で1910年の青森大火や
1945年の青森空襲の影響で何度も建物が焼失しており
現在は写真でしか見ることない建造物も数多い
かつての青森市のマップと
現像しない建造物の数々
そして青森市ゆかりの人々に関するコーナー。
有名な登山家の三浦雄一郎氏も青森出身だ
そして多くの手拭いの型紙の展示もある。
似たような展示はみちのく民俗村資料館にもあったが
こちらは店などの広告に使われていた複雑な切り絵だ
すでに現存しないであろう店ばかりだが
見覚えのある商品名も散見される
文字などの独立した部分は
テグスで固定していたらしい
イベントの告知に使われたものもある。
現在は社名などが入ったタオルもほとんど見なくなったが
かつては重要な広告だったのだろう

 そして北のまほろば記念館は、陸奥湾と青森市の中心部を見渡せる展望台がある。
 この日は曇り気味であったが、晴れた日には遠くに八甲田はっこうだ山も望めるのだという。

静かに広がる凪の陸奥湾。
奥に見えるのは下北半島の付け根部分
晴天の日は八甲田山も見えるのだが
この日はぼんやりとしか見えなかった

 長らく存在は知っている一方で入ったことのなかった北のまほろば歴史館だが、実際に入ってみると実に興味深い施設だった。
 皆さんの身近にある「知っているけれども入ったことはない施設」も、行ってみると面白い体験ができるかもしれない。

あおもり北のまほろば歴史館
住所 : 青森県青森市沖館2丁目2−1
開館時間 : 9 :00〜17 :00
休館日 : 12月29日〜1月3日まで
入館料 : 一般 310円
    大学生・高校生 160円
    (団体料金あり)
アクセス : 青森駅から徒歩20分
     最寄りバス停 (沖館仲通り」または「沖館消防分署前」)から徒歩10分

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