【青森県新郷村】青森になぜキリストの墓?「キリストの里公園」
青森県の新郷村 (しんごうむら) には、キリストの墓と呼ばれているものがある。
一応言っておくが、地元の人間も本気にはしていない。本気で信じていたら、キリストっぷなどというふざけたものは作らない。
元々この地域では地元の旧家である沢口家という家があり、彼らのの有する土地に2つの盛り土があった。
ここに1935年に『竹内文書』の著者公表者であり 、この文書を聖典とする「天津教」 の教祖であった竹内巨麿という人物が「調査団」と共に訪れ、この土饅頭をキリストの墓だと言い出した。
『竹内文書』をご存知でない方向けに簡単に説明すると、竹内巨麿という人物が発表した「写本」などの文書群である。一部のゲーマーには「ヒヒイロカネの元ネタ」と言えば通じるだろうか。
竹内巨麿は自らを日本書紀に登場する平群真鳥という人物の子孫であると主張しており、これらの資料は古代から受け継いできたものだという触れ込みであった。
そして肝心の文書の内容はというと「人類の起源は日本だった」だの「天皇家は宇宙よりも昔から続いていた」だの「キリストやモーセ、釈迦といった人物はかつて来日しており、日本で得た知識を各国で広めた」だのといったものである。
内容の不自然さは言うまでもなく、明らかに近代の語彙が用いられていること等から昭和初期時点の調査で偽書であることが証明されている。
因みに1936年に発表された偽書の証明を中心とした批判文については、現在は青空文庫でも読むことができる。
なお、なぜよりによって青森に墓があると言い出したのかは、画家である鳥谷幡山の影響が大きいと思われる。
鳥谷幡山は、青森県七戸町出身の画家である。
日本画家として活躍していた彼は、青森と岩手、秋田にまたがる湖である十和田湖の美しさに魅了されていた。彼は当時無名だった十和田湖を好んで絵の題材とし、その紹介に努めていた。
そして彼は、竹内巨麿と非常に近しい関係にあった。鳥谷幡山が『竹内文書』の実在や「天津教」の正当性を本気で信じていたかは分からない。ただ確かなのは、彼は「調査団」の一員として竹内巨麿の「キリストの墓の発見」に同行していたことだ。
彼は戦後から晩年にかけては画家としての活動を縮小していく一方で、この新郷村の「キリスト」の紹介に努めていた。
十和田湖を愛し、その魅力を広めることに尽力していた鳥谷幡山。村おこしの題材を求めていた沢口家を含む村の有力者達。そして鳥谷幡山と近しい関係にあった、新興宗教教祖の竹内巨麿。
絡まり合う彼らの思惑が一致した結果が、この「キリストの墓」なるものなのだろう。
この辺りの更に詳しい経緯については、以下のリンク先が詳しい。
「昭和のくらし研究」No.20(2022年3月刊)観光・郷土史・「偽史」
—一九三〇年代青森県三戸郡戸来村「キリスト涌説」の位相—
余談だが、新郷村に隣接する十和田市にはカトリック十和田教会やプロテスタント系の日本基督教団三本木教会などがあり、五戸町には教会こそないもののカトリック仙台教区を母体とする五戸カトリック幼稚園が存在する。
しかし新郷村自体が令和5年8月末時点で人口2155人という非常に小さい村ということもあってか、この村にはいわゆる正統派のキリスト教の教会などは存在しない。
さて、当noteのスタンスを明らかにするためとはいえ非常に前置きが長くなってしまったが、新郷村では近代に突然湧いて出たこれらの話を「キリスト伝説」ならぬ「キリスト湧説」と呼び、現在も観光資源として捉えている。
新郷村のサイト曰く「突拍子もない仮説」「 みなさんの個々の価値観で、神秘の里のロマンに想いをはせてください 」とのことだ。
また毎年6月には「キリスト祭」なるものが開催されている。
「キリストの墓」に玉串奉奠等の神道式の神事を行った後に周りでナニャドラヤという北東北の一部地域の盆踊りを踊るという、改めて文字に書き起こすと「奇祭」以外の何者でもない祭りなのだが、高度経済成長期の真っ只中である1964年の第1回開催以降はコロナ禍による数年の中止を経りつつ、2023年には第59回目の開催を無事迎えている。
( 一応スタンスとしては「ここにはこの村と縁深い人が恐らく埋葬されていて、紆余曲折を経て『キリスト』と呼ばれているその人物を慰霊している」という形のようだが) なんとなく妖怪ハンターの「闇の客人」エピソードを思い出すが、あれは1990年に書かれた話なので元ネタの一つなのかもしれない。
この「キリストの墓」なるものは周辺も「キリストの里公園」として整備がされており、トイレや自販機などのほかに「キリストの里・伝承館」という施設も建てられ、バス停も一応は作られている。
因みに前述したキリストっぷは、駐車場の正面にある。
なお新郷村のサイトに「※乗り換えバスの便があまり良くないのでレンタカー等をお使いになられることをお勧めします」とある通り、公共交通機関でのこの村へのアクセスは非常に悪い。
八戸駅前から南部バスで終点「五戸駅バス停」で下車し、五戸駅バス停から金ケ沢線に乗り換え終点「金ケ沢バス停」で下車。そこから徒歩で新郷村役場に向かい、役場前から村営の「みずばしょう号」に乗れば10分程度でキリストの里公園に着く。
なお「みずばしょう号」は土曜日は1日3本のみ運行、日曜、祝日、年末年始は運休である。
(2023年8月末現在)
余談だがこの「五戸駅バス停」という名称はかつて存在していた南部鉄道という鉄道路線の名残であり、現在は五戸町に鉄道駅は存在しない。
とはいえ、駐車場はそれなりに整備されている。自分が訪れた時点でも何台もの車が停まっており、年齢も性別もさまざまな観光客がひっきりなしにやってきていた。
青森の小さな村にある観光地にしては、明らかに活気がある方だ。
なお、この東屋の近くには宗教法人である白光真宏会の設置しているピースポールがある。
本当にもう何にでもありだなここ。
丘の上には「キリストの墓」と竹内文書で語られる「イスキリ」なる人物の墓、「キリストの里・伝承館」の他に、下記の案内にはないが前述したこの土地の元々の所有者であり、「キリスト」の子孫とされている沢口家の墓がある。
因みに沢口家は現在も続いていて、キリスト祭の折にも現当主が参加している。
さて、この「キリストの墓」には2004年にイスラエル大使が実際に訪れ、その際に記念石が贈呈されている。記念石は当初「イスキリの墓」と「キリストの墓」の間に埋め込まれて設置されていたのだが、現在は劣化や悪戯を防ぐためか「キリストの里・伝承館」の内部に展示されている。
ただし当初この記念石の周りに設置されていた石の一部は、現在も2つの「墓」の間に設置されたままだ。
数年前までイスラエル大使が訪れた際の様子についてのページが新郷村のサイトにあったのだが、いつのまにかアクセスできなくなっていた。
そしてこの公園の奥に鎮座しているのが、「キリストの里・伝承館」だ。
2021年にリニューアルされたばかりの施設であり、月刊ムーの記事の切り抜きや竹内文書の紹介のほか、長慶天皇伝説の紹介など当然というかそういう方面に振り切った内容の展示になっていた。鳥谷幡山の作品も展示されていたのは驚いた。
因みに月刊ムーは昨年2022年に新郷村で「ミステリーキャンプ」なるものを行い、非常に好評だったとのことで今年2023年も「ミステリーキャンプⅡ」が開催されるようだ。
それなりに僻地のはずなのだがちゃんと人が集まるあたり、ムーの求心力は今も凄い。
「キリストの里・伝承館」の物販コーナーではオリジナルグッズや月刊ムー関連のグッズのほか、新郷村の特産品である乳製品も多数販売されている。
特に「飲むヨーグルト」と「薫りたつ牛乳」、そしてバジルアイスは絶品だ。新郷村に訪れた際は是非ご賞味いただきたい。
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