過保護になりすぎない。
場面緘黙は、不安症のひとつです。
思い返せば、長女は赤ちゃんの時から不安症を
抱えていたのかも。
*
長女が1歳の頃から
近所の子育て支援センター(児童館)に通っていました。
当時、私は専業主婦で、
日中は娘と2人。
狭いアパートでの生活は耐えられず、
毎日逃げるように支援センターに駆け込んでいた気がします。笑
広い支援センターには、
室内用のすべり台や、ボール、
三輪車、ままごと、絵本・・・
遊ぶものなら何でも揃っていました。
同じように毎日通う同世代の子供たちは
安心した空間で、お母さんなんてそっちのけで(笑)
のびのびと遊び回っていました。
ところが、
長女がなかなか私から離れられず、
すべり台すら、手をつないで滑る。
私がちょっとトイレに行こうものなら
大泣き。
他のママ友と話していると
後ろにベッタリくっつき、
遊具なんて全然興味なさそうな感じで。
とにかく
とにかく
私がしんどかった記憶があります。笑
はて、どうしたものか。
というのも、私はもともと
誰かにくっつかれるのがあまり好きではないタイプ。
それが、まさか自分の子どもに対しても
そんな感じなんだとそこにも罪悪感。
もう、この時から長女の不安症は
明らかだったんですよね。
だんだん言葉を覚え、
家ではしっかりおしゃべりするようになった頃も
外ではモジモジ。
この時は、恥ずかしいんだね〜って言って
特に気にしてはなかったように思います。
仲良しのお友達とは普通に話すことができ、
ああ、大人にはまだ恥ずかしいんだな
という程度に思っていました。
でも、同時に私の中で
「この子はガツガツ行くタイプじゃないから、
私が答えなきゃ!!!」
という思いに、自然と取りつかれてしまっていました。
「何歳?」
って聞かれても答えられない娘に
「3歳です〜」
って先に答えてしまう私。
「どっちの色がいい?」
と聞かれ
「いつもピンクが好きなんでピンクで」
と答える私。
他人に迷惑かけちゃいけない、
友達を待たせてはいけない
そんな思いから、少しも待つことをせず
ついつい娘のチャンスを奪っていたことに
気づいたのは、もう何年も後のことでした。
その頃から、ネットで調べ
場面緘黙という言葉をチラホラ見かけることになりますが、
それが余計に「喋れないなら私が何とかしてあげなきゃ」という
気持ちに火をつけたのかもしれません。
*
それから、数年後。
保育園の年中で場面緘黙を指摘され、
相談機関に通うことになります。
もしからしたら、
本人ができていたかもしれないことに
わざと蓋を閉じてしまったのかもしれません。
喋れないから。
そう決めつけて、
過保護になりすぎていたかもしれません。
もちろん、場面緘黙は当事者にとって
重く、辛く、気が狂いそうな毎日です。
合理的配慮が必要です。
でも、だからと言って、
親がやりすぎてしまうのもどうかと思っています。
私は、昨年子どもの発達について
1年かけてオンライン講座で勉強をしました。
どんな子であっても、
親が手を出しすぎるのは
その子のやる気や成長を妨げることになります。
それが、障がいや特性を持つ子であっても。
そこのバランスが本当に難しい。
だからこそ、その子をしっかりと観察して
親だからこそわかる
「今だ!」というタイミングを
逃したらいけない。
長女の場合は、不安症で場面緘黙だからって
私が手出し口出ししてしまい、
失敗を恐れて、何事にもチャレンジできない性格に
なってしまったように思います。
小さいうちに、もっともっとたくさん
失敗をさせてあげたらよかった。
その失敗をした時の気持ちの落としどころ
みたいなところを、
自分で学んでいく必要があったのに。
・・・と、
不安で学校に行けない今を見て、
当時のことを振り返ってみました。
場面緘黙でも
学校に行く子もいるし、
気持ちがブレない子もいると思います。
うちの場合、
もともとの特性に、さらに上乗せしてしまった。
場面緘黙や不安症を悪化させたのは
環境要因と人的要因もあるんじゃないかなと思っています。
自分を責めているのではなく、
今、ちょっと俯瞰的に見ているだけです。
今後どうしていくか。
観察して、前進していけるように。
大好きな長女のために。