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仲良しだった母娘の変化

今まで、母との仲、育児によって生まれた違和感について書いてきました。

そもそも、、、私は母と仲良しだったんですね。
そう、まるで友だちみたいな仲でした。

特に、都会から田舎に帰ってきて
実家暮らしをしていた20代後半くらいの時期は
適度な距離感(だと思い込んでいた)で、

私のことを一番理解してくれていて、私の嫌なところも、甘えも見せられるし、気を遣わなくて良い。なんて楽なんだ!そして、当時うつ症状を患っていた父を世話する母を守りたい。

こんな気持ちだったと思います。

思っていることが同じ
食べたいものが同じ、
「それ今言おうとしてた!」と
2人で笑いあったりもしていました。

鬱で引きこもっていた父を
なんとか世話する母が可哀想で可哀想で。

(今思うと、これは共依存の関係だったんですけどね。)

そういう関係だったからこそ、
今の状態が余計に受け入れられないのかもしれない。

お母さんならこれぐらい察してよ今、
そういう状況じゃないんだよ!!!!

特に、私の3人育児が始まったところで
かなり精神的に追い詰められていました。

そんな母は、私に構ってもらえず、
寂しかったのか。

このあたりから前回お話したように、
関係がギスギス(というか私が一方的に)し、
母の認知症・不安症がひどくなってしまいました。


認知症が進むと、他人のことを思う想像力がほぼ0(ゼロ)になり、
すごく自己中心的な発言ばかりに。

さらに長女が不登校になり、
「なんで?」「どうして?」「普通が良かった」
と言い、挙句の果てには
「あんたが(孫を)なんとかしてやってよ」
「あんたがしっかりしないと」と言われ。

その時点で、私は色々な関係機関とのやり取り、
毎日先生との電話、欠席連絡、
そして将来の不安。

すでに押しつぶされそうだったのに、
母の言葉がさらに私をどんどん追い詰めていきました。

このあたりから、私の幼少期の思い出が
バーーと溢れ出してきたのです。

ああ、そうだ。この人は自分の不安を、
人(私)にぶつける人だった。

世間体が第一で、他人と比べ進学先、就職先、結婚相手・・
全てに口を出してきたんだった・・・


今まで忘れて生きてきたようなことも
どんどん思い出されてきたんです。

そして、今頃になって
あの時嫌だったな。
という思いが、次々と込み上げてくるのです。

そうなったら、もう止まりません。笑
普通だと思っていたことが
実は普通じゃなかった。

幼少期我慢して、母を安心させようとしていた
あの頃の自分がかわいそう。

そんな気持ちに気づいてしまったのです。

仲良し母娘だと思っていたけど、
それは共依存だったことに気づき、
さらに、娘は母が第一だから、
母に喜んでもらおうと必死に”良い子”になる。


それが崩壊した今、
もう少し母から離れて、
自分の意見で生きられる人生だったら良かったな。

と思うようになってしまったのです。



とにかく・・・

私が育児で精一杯だった時(今もだけど)
母に求めていたことは
ただ、私を認めてくれる場所になって欲しかった。


「そうだね、辛いね」って話を聞いてくれるだけでいい。


認知症となった今、もはや遅いのかもしれないけど
そういうモヤモヤを抱えながら生きていく。

私と母との関係は、このままで終わるかもしれませんが
私のこれからの目標は明確です。

私と娘たちの関係が、こうならないこと。
娘たちの安心できる場所を用意して、
戻りたい時にいつでも戻ってこれるようにすること。


過去は変えられないけど
未来は変えられる。



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