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「期待しない心」で生きてきた代償
新年が明けてから、
早いものでもう約10日。
年末年始は、嫌々ながら実家の掃除をしたり、
みんなで集まって食べたり、
どこも行きたくない子どもたちに苛立つ夫をなだめたり(笑)・・
なんだか、自分を押し殺して生きていることを実感しました!
でも、それって良くないので
休みのうちはいいか〜と自分への制限を緩くし
大好きなビールやワイン。 夜中のポテチ。を堪能しました。
さて、8日から新学期。
学校に行きたい、でも行けないと
前日から大号泣する長女を見ながら、
どこか冷静な、いや、冷め切った自分がいることに気づきました。
結局、学校には行けなかった。行かなかった。
そう、私、子どもに「期待していない」んですね。
というか、期待できない。
これは良くないってわかってるんですが、
娘にもその気持ちは伝わっているだろうし
そうしたら何か感じ取って
「あ、私期待されてないんだ。行かなくていいんだ」と
弱い心が出てきてしまうんだろうなって。
まあ、その通りになりましたけど。
そもそも、
私は小さい頃から失敗や怒られることが本当に苦手でした。
多分、これは今になってみると
母親の過干渉・過保護が強く、
自分自身で失敗する経験ができていなかったからだと思います。
もちろん、失敗したり、テストで悪い点を取れば
怒られました。家で、補習という母の鬼指導が待っていました。
よく例に挙げられる、
90点取ったら「すごいじゃん!90点」と言われるのではなく
「なんで10点・・どこでミスったの?!」と責められるような
育ち方をしていました。
そうだから?
私はいつしか、自分にショックを与えないように
〜のせいで勉強できなかった
とか、言い訳を考える癖がついたし
「最初から期待しない方が楽」と
明るい未来を想像することをやめてしまったんですね。
そのほうが、失敗した時やうまくいかなかった時に
落ち込む度合いが少なくてすむって思っていたんです。
そんな心を持ってる私ですから。
子どもたちに対する、期待。
過剰な期待は絶対ダメなんですけど
適度な期待。
これさえ、できないような気がしています。
期待する=応援すること。
子どもを応援できない親って
どうなんかな・・・
ということで。
今年の目標に
明るい未来を見て、
期待する。
というレベルの高い項目を挙げてみようと思います。
もちろん、子どものことではなくて
まずは自分のこと。
小さいことから。
仕事でもいいし、家事でもいい。
そうしたら、自分の思考が少しずつ変わって
発する言葉にも変化があるのかもしれません。
子どもに向ける言葉は、
自分の奥底に眠っている
自分でも気づかない概念みたいなものだと思っています。