福祉による二重排除
平成24年(2012年)の話である。
全国知的障害者福祉職員研究大会某地区大会の分科会でシンポジストとして登壇した。発表者は私を含め3名、260名の席数の内8割ほどはうまっていただろうか。
「矯正施設等を退所した障害者の地域生活を支援する」というテーマで発題した。平成24年というと前年に都道府県最後の地域定着支援センターが東京都に設置された頃であり、繰り返し罪を犯し刑務所に収監されている知的障害者の存在とその問題がようやく社会の課題として顕在化し、司法から福祉へとつながる支援の大きな流れができつつあった頃である。
当時私が働いていた社会福祉法人では、先駆的に矯正施設(刑務所や更生保護施設等)にいる知的障害者をグループホームで受け入れて彼らの地域生活を支援していた。
平成22年に旧法知的障害者入所授産施設、同入所更生施設を対象としたアンケートによると、矯正施設からの受け入れについて約5割が「受け入れの検討はする」との回答があったものの、4割は「受け入れの検討はしない」との回答で、受け入れをしない理由としては「専門職の配置がない」こと、「再犯に至った場合の施設の責任」「ほかの利用者への影響」と言うものが多くを占めた。
そのような時代背景であった。
軽度の障害があるがゆえに社会で孤立し、疎外され、居場所がなく、生きるためやむなく罪を犯し刑務所に入る人たちがいること、そしてさらに刑務所を出た後もまた支援を受けず居場所がないために同じことを繰り返さなければいけない現実があること、その人たちを支援することこそ福祉の責務であることを伝えたかった。
特段大きな反応もなく質疑もなかった。
ただ、シンポジウムの最後にコーディネーターが話した言葉が今でも脳裏から離れない。
「できないことはできないとすべきである。できないことをすると本人も支援者も不幸になる。自分たちの力量をわきまえることです」
一言一句が今でも耳に残り、今もってなお、心の底に沈殿し滓となって淀んでいる。
シンポジウムは「つながり」「安心」というこれ以上ない予定調和的で聞く者を安心できるような言葉によって閉会した。
善意で覆い隠された言葉が放つさざ波のように心を揺らす不快感。
自分の力量を過不足なく把握することはどの分野においても重要であることにはむろん異存がない。
だが一方、できることだけをやることで人の成長、組織の成長があるのか、あるいは社会が変わっていくのか。
やる前からできないと何を根拠に判断できるのか、
やってみないとわからないのではないか、という実存論的問いは意味をなさないのか。
そして、「できないことをすると本人も支援者も不幸になる」とは何か。
たとえ、矯正施設を退所した障害者が支援を受ける中で再犯したとしても、それが本人にとって不幸なことなのだろうか?
そしてそれは支援者にとっても不幸なことなのだろうか?
今まで誰からも支援されずに社会で孤立していた人が誰かと関わり支援を受けることは、新しい経験としてその人の人生に何かしらのものを残しているはずだ。それは支援者にとっても同じだろう。支援する側とされる側という関係性を超えたところで人と人とがかかわるということ、その生きる根源的なところでこそ魂のふれあいが生まれる。
結果がどうであれ、それをなぜ「不幸」と言えるのか?
幾度となく社会から排除され再犯を繰り返すことを強いられる人生、その絶望的な存在のあり様こそが「不幸」だとはなぜ考えられないのか。
社会から孤立している人に居場所を見つけ生活を支えていくという、ただそれだけの事を「できない」という偏見でもって切り捨て、支援を拒否することは、福祉による二重排除である。社会から排除され、さらに福祉から排除されるという構造が生じている。
そもそも「社会から排除される」という時の社会には福祉も含まれている。福祉を包括しているはずの社会が人を排除する。その社会が排除した結果として矯正施設に行かざるを得ない弱者を生み出している。
その上で、矯正施設から退所してきた人に「触法障害者」というラベリングを刻印しさらに排除する。ここに新たな差別が生まれる。福祉という領域の中で排除が生じる瞬間である。排除とはあらゆる領域、階層で生じる入れ子細工である。
生きにくい社会を主体的に、能動的に生きることでストレスフルの状態を作る。だから防衛のために社会から追い出される道を選ばざるを得ない。
なぜか?
支援を受ける、人と関わって生きるという経験をしてこなかったからである。
触法障害者などどこにもいない。
社会が生み出している概念である。
「昔の精神錯乱と今日の発狂との著しい相違は、実は本人に対する周囲の者の態度にある」と、柳田国男は『山の人生』で記している。
けだし名言である。
件の分科会資料に掲載した拙文をそのまま書く。
こういう倨傲なものの言い方が入所施設職員の気分を害するのであろう。
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貧困・生活苦と孤独を原因とする累犯という問題(そのほとんどが高齢者または知的なハンディを持つとされる)が顕在化してきた。
国家が人間の尊厳としての衣食住を担保せずに、それを選択しないと自らの死しかないという状況下にあってやむなく食べるために罪を犯した者に対して国家が法により実刑を下し、社会から疎外するという不条理。
社会はその困窮と孤独の不条理の中で喘ぎ苦しむ人々を異邦人(他者)としている。極寒の暗黒の海に漂う孤独の中の高齢者や障害者たち、その人たちに人間としての尊厳が保証されずして、誰が真の意味で人の豊かな暮らしを問うことができようか。仮に広く社会の底辺から眼を背け自らの仕事の範疇を限定するのであれば、畢竟、福祉施設など虚飾の楼閣でしかない。
物が横溢し爛熟した現代社会にあってなお貧困と孤独の深淵に沈淪するしかない者たちから視線を逸らすのは、福祉事業者によるネグレクトである。
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このシンポジウムから約10年が過ぎようとしている。
各都道府県の地域生活支援センターは日々多忙を極め、矯正施設からの地域移行も少しずつではあるは地域に根付いてきている。
しかし、社会における排除という枠組みは消えない。
排除とは人の心に巣食う宿痾である。人の業ともいえるものかもしれない。
しかし、それが人の持つ業だとしても、自らの業から目を背けず他者との関係を幾度でも結びなおすことが、福祉に関わる者としての矜持である。
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