『もう、「女」はやってられない』と計量スプーン
いま、田嶋陽子先生の『もう、「女」はやってられない』を読んでいる。なかなか読みごたえがあって全然ページが進まないのだが、
第二章 男は王侯貴族、女は奴隷 にさしかかり自分の母のことに思いをめぐらせた。
そして、タイミングよく(?)今日の晩ごはんにカレーを作り、貝印の計量スプーンを見て記憶がよみがえったのだ。
子どもの頃、これと全く同じスプーンで母がカレーを食べていた。自分の記憶によれば”家族でカレーを食べるときはいつも”だ。
そのことを後になって母に訊いてみたら「だって他に選択肢がなかったから」とムッとした顔で答えた。
今ならわかる、”選択肢”の意味が。”奴隷になるしかない”だったのだ。だって他の家族が計量スプーンでカレーを食べてもいいし、スプーンを配置するとき(皿の手前にカトラリーを置くシステムだった)しれっと他の誰かの前のスペースに計量スプーンを置いたっていい。けどそういうことがなかったのは母=奴隷だったからだ。
初めて母を可哀想だと思った。涙が出た。
ごめんね、お母さん。悪いのはお母さんを奴隷に押し込めていた社会だよ。
産んでくれてありがとう。
アルテイシアさんが田嶋陽子先生を推しすぎて対談本を出したのもわかる気がする。