キャリアチェンジしまくると人生どうなるのか?
このnoteは「キャリアに関して一歩踏み出したいけれど、なかなか勇気が出ないなあ・・・」という方にお届けしたいと思い書きました。
「こんな風に考えてきて、いま生きてる人がいるんだ」という1つのケースとして、少しでも役立ったら嬉しいなと思っています!
これまでのキャリアとチェンジの想い
自己紹介はこちらのnoteをご覧いただきたいのですが、過去やってきた正社員としてのお仕事としてはこんな感じです。
我ながら全然違う領域で、色々な仕事をさせていただいたなと思うのですが、これらの仕事について、「なぜ辞めたのか」「なぜその選択をしたのか」を、思い出しながら書いてみたいと思います。
ポケモン人事→ポケモンCSR
こちらは唯一の社内異動です。
東日本大震災の影響で、まだまだ不自由な暮らしをしている地域の子どもたちを支援する活動で、岩手県出身の自分としては入社前に「絶対にやりたい!」と思っていたことで、地元への恩返しも含め、確実に世の中や困っている人の役に立てる、魅力的な仕事でした。
一方で、人事をやっていた中で「現場やビジネスについてもっと理解しないとダメなんじゃないか」と思っていた自分からすると、「このまま自分はビジネス領域(利益を出す仕事や売上を拡大する役割)に携われないままなのでは?」という漠然とした不安を抱えたままの異動でした。
ポケモンCSR→ビービットカスタマーサクセス
CSRは思っていた通り、とてもやりがいのある仕事でした。
一方で、現地で関わるNPOの方々が「震災から3年が経って支援が続かず、活動を続けていくことができない」と話しているのを聞き、「どれだけよい活動をしていても、人に知られず、お金が集まらなければ当然継続はできない」という事実に向き合っていました。
これは自分の「ビジネス領域に携われないままでいいのか?」という不安とも重なり(社内事情でその部署ではなかなか取り組みが難しかったため)、毎週東京と仙台を行き来していたのですが、新幹線の中で「自分は今後どうしたらいいのだろう」とずっと考えていた気がします。
NPOとの関わりでファンドレイザーといった寄付を集める仕事を調べてみたり、相談した方には「若いのだからコンサルを目指してみては」というアドバイスをいただいたりしました。
最終的には「地域を超えて情報を発信しお金を集められるのはデジタルマーケティングだ」という発想から、未経験でチャレンジができたビービットのカスタマーサクセス職を受け、採用いただきました。
ビービットカスタマーサクセス→ハローコンテンツディレクター
ビービットでの仕事はとても学びに溢れていて、先輩からも同僚からもお客様からも沢山のことを教えていただき、一定の貢献もできた時間でした。
一方で、これは自分の甘えというか、自己理解が足りなかったのですが、「複数の人がいる中で、同じ役割の一部を持つ」という働き方になった際に、どうしても「自分にしかできないことは何か」「それが無いと自分がこの組織にいる価値がないのではないか」という考えに囚われてしまいました。
ポケモンの際は人事のときもCSRのときも、かなり少人数(基本ほぼ一人)でプロジェクトを回していたので自然と「自分にしかできないこと」をやっている手応えを感じていました。
初めてそうではない環境に移り、自分の「自分にしかできないことをやりたい」という欲求を強く自覚したことで、新たな迷いが生じたのです。
(当時は27歳ぐらいで、そこまで言語化ができていたわけではなく、ただただ「自分には独自の価値がないのでは・・・?」という不安に向き合っていたように思います)
また、そのタイミングで京都出身の奥さんから「子育てをするなら東京から京都に戻りたい」という相談もあり
・自分にしかできない仕事をする
・京都で暮らす
という2つを満たせる環境が自分の理想として再セットされてしまいました。
ただ、人生不思議なもので、そのタイミングたまたまお誘いいただき「京都と行き来して働いてもいいよ」と言ってくれたのが、当時社員数2名のハローでした。
自分が入れば、正社員としては3番目(共同創業者2名の会社)。ここなら「自分にしかできない仕事をする」は物理的に満たされるし、「京都で暮らす」ことも実現できる、願ってもない環境だと思い、ビービットへの申し訳なさはありながら、転職を決意しました。
ハローコンテンツディレクター→Baseconnectマーケマネージャー
ハローでの日々は、自分が一番鍛えられた期間だったと思います。
とにかく何でもやる。時間も役割も気にせず、プロジェクトを前に進めていく。
自分以外の人たちは複数の会社を経営していたり、個人事業主を長く続けている優秀な方が多く、途轍もないスピード感の中で、大手の新規事業の検証から中小企業の案件まで本当に幅広い仕事に携わりました。
組織が小さいことから1つ1つの案件の受発注や利益率にも触れることができ、ずっと思っていた「ビジネス領域に携わる」ということに、やっと本格的に触れられた仕事でした。
一方で、こちらの退職理由は自分の中では割とネガティブで
・自分の力が足りないことを痛感した
・子どもが生まれた中で、東京ー京都を毎週行き来し、土日しか家族と過ごさない生活を続けることを選べなかった
の二点に尽きます。もう少し自分のビジネス力が高かったり、家庭を安定させられていれば続ける道もあったかもしれませんが、当時の自分には「家族と仕事を両立する」力も覚悟も足りませんでした。
そういえば、ここでも(ポケモンCSRのときのように)、新幹線に乗りながら「俺は一体何をしていて、何がしたいんだ・・・」と思っていた気がします。高頻度の新幹線は、キャリアチェンジを誘発するのかもしれません。
正直、ビービット、ハローについては、仕事をやりきれずに転職してしまった苦い想いがあります。どちらも大好きな会社ですが、雇っていただいた以上の貢献ができたか?と言われると、正面から「はい」とは言えない気持ちになります。
だからこそ、次こそはきちんと貢献できる環境に入りたい。
そう思って選んだのがBaseconnectで、人事担当なら過去の経験やマーケティングの知見も活かして貢献できる、と思いました。
しかし、最終面接で「ちょうどマーケのマネージャーを求めていて、やってみませんか?」と代表に言われたことで、自分の想定なんて世界は簡単に超えてくる、ということを学ぶのでした。
Baseconnectマーケマネージャー→そしてミライフへ
とはいえ、事業会社でのマーケティングは未経験。
さすがに自信がありませんでしたので、「マーケマネージャー候補」として入らせていただいたのですが、これが本当に良かったと思っています。
デジタルマーケティングについてはそれなりに携わってきたつもりでしたが、「大手企業が予算を最適化するフェーズ」と「スタートアップがトップラインを伸ばすフェーズ」では、考え方もスキルもマインドも、まったく違うことに入社早々気づかされ、成果を出すどころか議論にもならない状況になってしまったのです。
それが恥ずかしくて悔しかったのですが、前職までの経験から、スタートアップフェーズでの「とにかく前に進める」ことの重要性を理解していましたので、インプットをし直して週次で代表とMTGをし続けて、数か月である程度回せるようになり、無事正式にマネージャーにならせていただくことができました。
もし最初から「マネージャー」の期待値で入っていたとしたら、お互いに「役割にフィットしていない」となり早々に降格となっていた可能性もあり、「キャリアチェンジの場合の期待値調整」の大切さを学んだのはこのタイミングでした。
(それまでは若かったこともあり「何でもできます!」と言ってしまって、期待値をあげ、自分を勝手に苦しめていたことにも気づきました)
Baseconnectでは、最終的にはビジネス部門の責任者という役割も担わせていただきました。
「組織や事業を変えていきたい!」という想いからチャレンジしましたが、周囲の方の期待に満足する形で担いきれず、ここでも力不足を感じたのですが、それまでとは違い「自分の適切な仕事を、適切な形で進めていけばよい」と思えたことが、その後の仕事面での安定につながっています。
(周囲の方にご迷惑をおかけしましたが、「菅野さんとご家族の幸せが一番だから」と送り出していただけたことは、本当に感謝しかないです)
実は、Baseconnectに入る前に、ビービット時代の上司と話す機会がありました。
取っ散らかってしまった自分のキャリアを踏まえて「自分の強みの芯があれば、もっと仕事選びも楽になると思うんですけど・・・」とお伝えしたところ、その方が「でも、そんなに沢山経験してるかんちゃんだから評価してくれる環境もあるんじゃない?」と言ってくれたことが、今でも支えになっています。
この言葉があったからこそ、スタートアップのカオスな環境には自分の「何でも屋」気質が活きると思えましたし、その後ミライフに行く際も「転職エージェントは未経験だが、人の働く・生きるを支援する企業なら、自分が過ごしてきた紆余曲折が役立つかもしれない」と思えました。
本日のテーマ「キャリアチェンジしまくると人生どうなるの?」の一つ目の答えがここにありまして、私としては「自分ができないこと・周囲が支えてくれることが分かるから、多くの方の有難さに気づき、感謝したくなる」を挙げたいと思います。
本当に、色んな人に助けていただいているからこそ、何とかやっているのだな・・・という気持ちしかありません。
エージェント・マーケティング・事業企画の広がり
現職であるミライフには、「家庭を安定させたい」「その上で、事業に貢献したい」という2つの想いを持って入社させていただきました。
1つには、フルリモートで京都から働き、子どもの保育園の送迎や、何かあった際の対応ができること。
2つには、ミライフが掲げていた「生態系」というアイデアを実現すること。
この2つが重なったときに、初めて自分が「家庭と仕事を両立する」という、ハロー時代から抱えていた課題に向き合えるかもしれない、と感じました。
そこからはとにかく、エージェントという仕事の難しさに向き合う日々でした。
そのとき、自分の気持ちの整理半分、慰め半分で書いたnoteがこちら
今から思ってもなかなか苦しい期間でしたが、その試行錯誤があったからこそ、2年半が経った今でも、この仕事が続けられているのだと思います。
また、エージェントをやりながら今度はtoCマーケティングにもチャレンジしたのですが、これまでのtoBマーケティングともまたまったく違う(そもそも予算感も違う)領域で、そちらもほぼ素人レベルからのスタートでした。
ですが、レベル1から積み上げていくのは自分にとって苦ではありません。もちろん大変なのですが、これまでの経験で「いずれ何とか出来る」と楽観的に構えています。
また、最近では家庭もだいぶ安定し、ミライフの「生態系作り」も少しずつアクションが積み重なってきました。
そして、このタイミングで頭をもたげてくるのは「次は何をやろうかな?」という問いでした。
結局、キャリアに限らず「チェンジ」が好きなのかもしれない
先日、友人に何の気なしに「もっと安定して生きていきたいんだけどな~」と話したところ「でもそれ、3年前も同じこと言ってたよ」と言われて衝撃を受けました。
自分が忘れているだけで、いつも「安定」を口にしながらも「変化」に身を投じている。
だとしたら、自分が進みたい方向性は、結局「チェンジ」なのかもしれない、と思います。
今回、「キャリアチェンジしまくると人生はどうなるのか?」をテーマに考えてみました。
もちろん「感謝にあふれる」といったキレイっぽいことも見えてきたのですが、改めて気づいたのは「そもそも自分は人生においてチェンジを優先して生きている」ということでした。
たしかに、「迷ったら大変そうな方を選ぶ」は、自分の行動指針に無意識的にあった気もします。
これからキャリアチェンジを行う方はあまり深く考えすぎずに「自分の人生、そういうものかもしれない」と、あえて楽観的に向き合ってみるのも、大事なスタンスかもしれません。
逆に「これまでの人生で変化なんてほとんど無かった」という方は、「どうしていま、変化を起こそう・起こしたいと思っているのか?その根本にある想いや願いは何なのか?」に目を向けてみると、自分の行きたい方向性が見えてくるのではないでしょうか。
さて、そんな菅野と、沖縄でヘリコプターバスの会社を経営されている道廣さん、そしてミライフ代表のスケさんという、キャリアチェンジしまくり人材の3名でお送りするイベントを【9/26日(木)19時半~】で行います。
このnoteに書ききれなかった話もぜひお届けしたいと思いますので、「いろんなキャリアの話を聞いて、自分も一歩踏み出したい」という方は、ぜひご参加いただけると嬉しいです!
それでは、最後までご覧いただき有難うございました。
次回も、どうぞよろしくお願いいたします!